竹中重蔵

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郷土の沿岸にはじめて乗合自動車を走らせた竹中重蔵は、慶応二年(一八六六)、能登(石川県)の珠洲郡(珠洲市)上戸村に生まれた。父竹中治右衛門の二男である。幼名を謙治という。
 師範学校に学び、病気のため中退して農業学校に転じた。のち、郷里の学校の教員をつとめ、一念発起して祖母と水盃(みずさかずき)をかわして出郷、蛸島の三蔵の倭船で北海道に渡海した。当時能登の蛸島辺では松前へ渡る三蔵の船を人棄船(ひとすてぶね)といったと重蔵は記している。
 江差に上陸した重蔵は「函館向き」といわれて雇うところがなかった。ガタガタ馬車に揺られて鶉(うずら)越えして函館に出る。同郷の知人である〓高常次郎商店に寄寓した。
 重蔵は渡海の折の船上生活で皮膚病にかかり、川汲温泉に湯治。温泉に逗留中、沿岸を遊歩して将来を期したという。これが縁で川汲温泉に寄寓した。
 のち、本願寺函館別院の事務を執り、函館市内に一店を創業。樺太鰊の買とりに加担して大金を得る。これを資本(もとで)に川汲に移り、雑貨商を経営する。川汲部落の信頼をあつめ部落書記・部長をつとめる。のち、尾札部中央に店舗を移す。
 尾札部部長、村会議員を歴任、商店は益々繁昌して一代にして富を築く。事業の経営も旺盛で、昭和三年、念願の乗合自動車事業を創業する。
 駒ヶ岳噴火の災害も乗り越え、乗合自動車部のほか、沃野を耕し、牧場を経営し馬・牛・狐・羊を飼育した。
 各地に支店を経営して止むことがなかった。のち、自動車事業を大沼電鉄に譲り、一切を廃して新店舗を建築して沿岸一の百貨の店を経営する。
 重蔵は一代にして海岸一の大事業家となる。とくに交通運輸事業の先駆者となる。若き日より身辺一切の記録をよくし、諸事明細を記して後世に残した。書をよくし、文才に勝れていた。
 神佛を信ずることまただれよりも篤く、出征した六男正重の戦死の悲報が知らされたのは戦後であった。老夫婦は睦じく長寿を得た。昭和三七年、九六歳で没した。
 重蔵一代の役職は数えきれぬほどあり、墓石に俱会一処と刻銘している。
 
 竹中重蔵 略歴
  慶応 2年 2月 3日  能登国珠洲郡上戸村字南方に生まれる。父竹中治右衛門、母□□、二男。幼名謙治。
   (一八六六)
            数え3歳 母死別
            六歳 寺子屋 飯田町佐野春庵師に入塾
            上戸村明瞭小学校
  明治 6年      九歳 飯田小学校に転校
    12年      第二号小学校壱級卒業(在学中級長)
    12年11月    一三歳 外浦の輪島師範学校入学 脚気病に罹り半途退学
            一四歳 金沢区県立農学校入学 学費補助給与生試験に合格、給費生となる
            同校本科卒業(優等賞)
            飯田学校簡易科受持(教員)
            二三歳 実業に従事、時事に感ずる処あり渡道を決意
    21年 7月15日  夜半、珠洲郡蛸島村島崎三蔵持千石積倭船に便乗。乗客男女三百数十名。
       8月    航海日数四十有余日にして北海道江差港に入港、上陸
            ガタガタ馬車で鶉越えして函館に出る
            同郷の知人函館区西川町〓高常次郎商店を訪ね滞在
            皮膚病の治療のため川汲温泉に湯治
    22年 2月    函館区元町東本願寺別院本堂再建部書記会計係、北海道寺務出張所北海道慈善会簿
            冊記録整理係勤務
    25年      二六歳 退職後、亀田村瓦斯会社五稜郭通り付近の地所買収、木造平家八戸建築
            東川町下海岸通りに木造平家建新築、物品販売業開始
       9月    〓森崎丈太郎、〓高常次郎、〓汐谷某等と相謀り、倭船千四百石積を傭船、露領サ
            ガレンの鱒買付を決行。一〇月帰函、相場高騰し大利を得る
    26年 8月    川汲に移住、物品販売業経営
    36年 6月    尾札部村学務委員(戸長)、勤倹貯蓄奨励委員(支庁長)
    37年 3月    (川汲部落部長就任)六月、尾札部村衛生副組長
       8月    川汲に家宅新築一二月竣工、旧字川汲一一〇番地
    38年 4月    北海道尚武会正会員(会頭園田男爵)
            川汲家並詳図を記録
    39年 6月    尾札部村会議員当選、七月、尾札部村学務委員
       9月    尾札部村第二部長(支庁長)
    41年10月    恵比須浜一番地乙ノ乙に店舗・家宅新築して川汲より移転、物品販売業開業
    43年 7月    尾札部村宅地賃貸価格調査委員選挙人当選
  大正 2年11月12日  見日〓杉林雑倉において物品雑品業
      11月12日  見日〓杉谷家雑倉を借り物品小売開業
     3年 2月     北海道凶作救済会委員嘱託(会長堀内秀太郎)
     9年      桐苗三〇〇本、落葉松二、八〇〇本、杉苗三、五〇〇本植樹
            物価暴落、商店打撃、浜大漁、金融不滑
    10年 6月    尾札部部長(函館支庁長)
            川汲山道開鑿を道庁に請願し村長ほか村代表として出札
      10月25日  渡島汽船株式会社創設に参画(社長小川幸一郎)会社役員となり尽力
      12月    川汲山道開鑿工事促進陳情、尾札部(入江村長)臼尻(大谷村長)湯川(藤原村長)尾札
            部
(竹中部長)同(下池村議)
    11年 3月    尾札部統計調査員、同月尾札部村自警団副団長
       7月    尾札部村役場庁舎建築工事臨時委員
       8月    川汲山道既成同盟の役員として山道開鑿促進に尽力
    12年 1月 3日  渡島汽船定期総会(学校)
       5月    川汲山道開鑿工事起工
      12月24日  俊重、函館の材木商に奉公中病死
    13年 1月    帝国水難救済会北海道渡島地方委員嘱託
       2月26日  尾札部商業組合長
       8月    帝国水難救済会尾札部救難所創設、竹中重蔵所長嘱託(辞令五月一日付)
    14年 6月    六〇歳 救難所長を辞す
       8月    国勢調査員
       9月    川汲山道開通奉告祭執行
    15年 3月    尾札部村道路保護組合尾札部支部長
  昭和 2年      渡島汽船株式会社を函館巴回漕店に合同
      10月22日  尾札部村街灯点火の始
      12月    茂差尻岬道路成る
     3年      函館巴回漕店解散
       4月    尾札部昭和納税組合設立、組合長
       7月13日  乗合自動車業創業(尾札部稲荷浜・熊線、川汲温泉線)8月11日乗合運輸開始
      10月    椴法華村・森港線道路期成同盟会評議員嘱託
      11月    帝国在郷軍人会尾札部分会名誉会員推薦、大日本武徳会北海道支部武徳奨励委員
            嘱託
     4年 4月 1日  (大沼電鉄(株)大沼・鹿部間電車運行開始一七・二km)
      12月18日  著保内川橋元に支店開設(支店長竹中秀重)
     5年 6月15日  竹中乗合自動車、沿岸路線鹿部迄延長、大沼電鉄に接続
       7月    尾札部村共同墓地火葬場管理人委嘱(支庁長)
            尾札部村在郷軍人団所有、俗称椴山二九町二反一畝七歩を金一、二五〇円で買い
            受ける
     6年 6月    著保内支店住宅増築
            見日新道路竣工、10月見日路線延長
     7年 4月     後駒支店
            尾札部川上流尾札部沢に竹中農場設営
       5月    尾札部村区長辞職(在職一三年)ほか公職を辞退
      12月30日  トド山第一農場に木造二階建一棟建築(六〇坪余)
     8年 1月 9日  尾札部農園に木造平家建一棟建築
       6月    トド山(□□)新築工事
       9月24日  尾札部川口沖より大龍巻襲来、自動車車庫全壊
     9年11月    中竹中本店、新店舗住宅竣工
      12月    日本赤十字社北海道支部事業費金壱百七拾三円寄付(道庁長官より表彰)
    10年      七〇歳 日本赤十字社特別会員推薦
            第二農場として牛馬牧場用地原野約一五〇町歩買収
      12月28日  乗合自動車営業を大沼電鉄株式会社に譲渡、運輸代行となる(昭和11年1月12日正
            式認可)
    11年 1月26日  自動車営業解散届
       6月30日  尾札部沢に馬頭観音建立、開眼式
       7月    サイロ一基建設
    12年 6月    角石沢で牛二六頭放牧、ほかに馬七頭、緬羊一〇頭
            郷里、村社柳田神社鳥居建設費金壱百円寄付(昭和13年石川県知事より表彰)
    13年 2月    角石沢牛舎一棟、木造平家建(四〇坪余)
       5月    正重召集、出征
       8月    養狸一〇頭、兎六〇羽飼育
      12月    観音橋竣工
    18年 8月    生家、石川県上戸村、二八代当主竹中治来道
    15年 1月    飼育牛全頭を牛馬商に売り渡す
       2月14日  養狸、緬羊全頭屠殺、毛皮を自家用に充当
       3月 2日  牛乳処理休業届
    18年 6月 3日  店舗屋上の鉄柵献納
    37年11月20日  九七歳 午前一〇時(推定)没、同妻きゑ八〇歳没