鱈釣り口説節

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郷土に伝わる民謡は数少ないが、郷土の歴史を導いたともいえる鱈釣り漁業を物語る口説節は優れた民謡である。冬の海の厳しい業(なりわい)のなかで生まれた鱈釣り口説節である。
 二百年も昔から根田内より臼尻までは鱈場所と呼ばれ、椴法華の鱈は最上といわれ、臼尻村で献上の鱈を謹製したという。
 厳しい稼業ゆえの悲しい遭難も数多かった。
 昭和四〇年代、二人の優れた歌い手松村政一(明治36生昭和44没)、佐々木勇吉(明治31生・昭和48没)の唄を全曲、完全録音できたのは幸いであった。
 歌詞も漁業の仕業、稼業の特種用語も鱈釣りをした古老の解説で絵解きしてもらい、ほぼ完全に文字化した。
 松村、佐々木の二古老が残してくれたものに、今川幸四郎翁が死の直前、荒木恵吾に届けた覚書きの歌詞、成田民蔵翁が若いころ木直で習い覚えたというタラ釣り口説、そして坂本由太郎の口説うたと、のちに古部でNHKが収録した工藤鉄五郎(明治二九生)の口説節の全歌詞を収録した。
 
 松村政一 鱈釣り口説
 
 オエヤ
 〽亀田郡(かめだごおり)の函館在よ
 在も在々数ある中に
 その名在にも古部というて
 古部村にも〓(またに)がござる
 〓別家の〓(またさ)というて
     ドッコイドッコイ/\
 
 〽古部村にも〓がござる
 〓別家の〓というて
 あわれなるかや鱈つり口説き
 鱈は大宗(たいそ)にま喰(ぐ)らがために
 可愛い女房はただ他所(よそ)の花
 
 〽可愛い女房はただ他所の花
 そして子供になぜ継(まま)みせる
 わづか商売が悪いがために
 一里離れた木直村よ
 仲間(なかば)商売アラ一人前
 
 〽仲間(なかば)商売アラ一人前
 可愛い弟を胴の間に乗せで
 わしの舅に餌(いや)切りさせて
 時にわが身は船頭となりて
 それは誰よど尋ねできけば
 
 〽それは誰よど尋ねできけば
 それは古部の吉五郎でないが
 頃は正月十七日よ
 朝の六時と思いし頃に
 火をば焚ぎづげ飯(まま)鍋かげで
 手前女房のその名を呼ばる
 
 〽手前女房のその名を呼ばる
 キノ子キノ子ど二声三度(ふたこえさんど)
 いえで呼ばればはやく目をさまし
 お前呼ぶのはこの世の別(わが)れ
 浜に下がれば三途の川よ
 
 〽浜に下がれば三途の川よ
 船ばおろしてはや乗り出せば
 朝の嵐は無常の嵐
 嵐ばせにてしたがいつけて
 餌(いや)を切りきり居眠りなさる
 
 〽〓(はせ)でゆぐのはどごよどきけば
 〓でゆぐのは南部山口よ
 鱈は沖釣(づ)げ釜伏山(かまふせざん)よ
 奥(おぐ)の流れをさ中に開(しら)ぐ
 
 奥(おぐ)の流れをさ中に開(しら)ぐ
 サーサ船頭さんこごいらがよがろ
 元(もど)をどんとやって繩うつ仕度
 二百余りの瀬(せ)繩をまいて
 
 〽二百余りも瀬(せ)繩をまいて
 繩をよううつ二十と七枚(め)
 止(と)めで暫らぐ眠ろうじゃないが
 若い者とはどう言(ゆ)うたものよ
 
 〽若い者とはどう言(ゆ)うたものよ
 二晩三晩の源平(げんべ)の疲れ
 眠りすごせば弟起ごし
 弟起ごせばはや目をさまし
 これでならない繩とり仕度(しだぐ)
 
 〽これでならない繩とり仕度
 ねじり鉢巻はや腕まぐり
 サーサ船頭さん仕度ができた
 繩もようとった十五六枚
 
 〽繩もようとった十五六枚
 鱈もよう釣った胴の間続いて
          追積みなさる
 恵山お山の煙り見れば
 西が南西(ヒカダ)が南の雲が
 昔年寄(としより)のたどいごどきけば
 
 〽昔年寄のたどいごどきけば
 南風とは人とる風よ
 瀬繩を切らして逃げよじゃないか
 繩を切るにわわげなぐほど
 繩を切らせば舅は厳し
 
 〽繩を切らせば舅は厳し
 なんぼ舅が厳しかとても
 繩と生命には替えらりゃせまい
 繩を切らして帆を巻ぎあげで
 
 〽繩を切らして帆を巻ぎあげで
 〓でくるの古部を指して
 一里二里なら手間なぐくるが
 五里と七里と距(へだ)でだ途(みぢ)よ
 長の道中で風巻(しまぎ)コ喰らた
 
 〽長の道中で風巻(しまぎ)コ喰らた
 これも人生と諦(あぎら)めしゃんせ
 人の思いも恐ろしものよ
 船を捲(ま)いだりゴロまでただぐ
 船わ来たがと浜に出て見れば
 
 〽船が来たがと浜に出て見れば
 船もこないし姿も見えぬ
 あれは吉五郎の魂(たまし)じゃないか
 四十九日か早や三十五日
 長く経(た)つ日に月日も忘れ
 
 〽長く経(た)つ日に月日も忘れ
 そこでキヌ子に嫁に行げても
          返事もしない
 婿をとるても返事もしない
 なんなすわいど尋ねて聞げば
 少し離れだ隣家(りんか)の村に
 年は十九でその名は岩蔵(ゆわぞ)
 
 〽年は十九でその名は岩蔵
 なんにつけても年若なれば
 心やさぎはまだあとやさぎ
 シッゴホッゴスギナ
   キノ子泣がせヤンレサーエー
 
 
 佐々木勇吉 鱈釣り口説
 
 オエヤ
 〽唄え唄えと両方(りょう)からせめる
 何の拍子で唄い出しましょか
 太鼓三味線踊りをつけて
 拍子揃けば唄い出しましょか
      アドッコイ/\/\
 
 〽茅部郡(かやべごおり)の木直村よ
 少し離れた古部というて
 古部村にも〓(またに)がござる
 〓別家の〓(またさ)というて
 
 〽何が商売鱈つり商売
 頃は何時(いつ)よと尋ねてきけば
 頃は正月(しょうげつ)十七日よ
 朝の三時と思いし頃に
 
 〽自分の女房のその名を呼んで
 キノ子キノ子と二声三声
 いえばキノ子はふと目をさまし
 鳥と一緒ズに朝起きいたし
 
 〽浜に下がれば三途の嵐
 今朝の嵐は無常の嵐
 島の沖まで舟漕ぎいだし
 島の沖より帆を巻き揚げて
 
 〽嵐ばせにて下櫂(したがい)つけて
 餌(いや)を切り切り居眠りいたす
 〓(はせ)でゆくのはどこよときけば
 〓でゆくのは南部山口よ
 
 〽鱈は沖づけカマフイ山よ
 奥(おく)の流れをさ中に出せば
 サーサ船頭さんここらがよがろ
 二百五六十の瀬(せん)繩まいて
 
 〽錨(いがり)どんとやって繩うづ仕度
 繩もよぐうった十七・八枚(め)
 とめで暫らく居眠りいたし
 二晩三晩の源平(げんべ)の疲れ
 
 〽眠りすごせば弟(おどと)が起(おご)し
 恵山お山の煙りを見れば
 アイかタバ(北西)風がシカダ(南西)の雲よ
 シカダ風とはアリ恐しい
 
 〽シカダ風とはアリ恐ろしい
 昔年寄のたどいごどきけば
 シカダ風とは人とる風よ
 サーサこれから繩とる仕度
 
 〽ねじり鉢巻はや腕まぐり
 釣革(つりか)はいて釣(つ)り前垂(めだり)あでで
 二百五六十の瀬(セン)繩ぬいて
 繩もよくとった十二三枚
 
 〽鱈もよくとって胴の間いっぱい
        追い積みなしゃる
 風は強くなる波高(たが)ぐなる
 かかるシタギはみなくるシタギ
 繩を切らして逃げらにゃならぬ
 
 〽繩を切らせば舅が厳し
 なんぼ舅が厳しがとても
 繩と生命は替らりゃせまい
 繩を切らして帆〓(ほぐしゃ)いいたし
 
 〽〓(はせ)でゆくのはどこよときけば
 〓でゆくのは古部を指して
 一里二里なら手間なくゆくが
 五里と十里と距(へだ)てた途(みち)よ
 
 〽長の道中に風巻(しまぎ)をもらい
 これも人生と諦めしゃんせ
     ヤンレーサーエー
 
 〽人の思いも恐ろしいものよ
 船をまいたりゴロまで叩(は)だぐ
 船が来たがと浜へ出てみれば
 船もこないし姿も見えぬ
 
 〽これはー吉五郎の魂じゃないか
 ヤンレサーエー
 
 
 成田民蔵 鱈釣り口説
 
 オエヤ
 〽在も在々箱館在よ
 在が名題の古部というて
 古部村にも〓というて
 
 〽〓別家の〓というて
 そこの家には一人娘に
        キヌ子というて
 その家娘に婿をばもろて
 
 〽いやな商売鱈つり商売
 二里はなれた木直村よ
 人は一人前な仲間(なかば)に入れて
 
 〽七十三から十三までも
 涙こぼ(ぶ)さぬ人さもないが
 鳥と一緒時(ず)に朝起ぎいたし
 
 〽朝火焚きつけ飯(めし)鍋かける
 その合間(あたま)に餌(いや)切りいたし
 朝の一時と思いし頃は
 
 〽キヌ子キヌ子と二声三度(さんど)
 いえばキヌ子ははや目を覚まし
 どーらどらどら日和(ひる)ば見るが
 
 〽今朝の日和(ひる)は無常の嵐
 サーサこれから沖ゆぐ仕度
 船ば突ぎおろし
 嵐〓(ばせ)にて下櫂(したがい)つけて
 
 〽〓(はせ)でゆくのはどごぞときけば
 鱈は沖釣ぐ釜伏山(かまふせざん)よ
 奥の流れそろりと出して
 
 〽帆をばドンとつぐ二百三十尋の
 元(もと)をばやりて
 繩もよーうった四十七八枚(め)
 二百五十尋の止(とめ)をばやりて
 
 〽止めで暫く休むじゃないか
 頃はいつよと尋ねてきけば
 頃は正月十八日よ
 
 〽どごの村にもみなあるごどで
 三晩四晩の源平(げんべ)の疲れ
 眠りすごせば弟が起ごし
 
 〽そせば吉五郎はや目を覚まし
 恵山お山のあの雲見れば
 アイかヒカダか南の風が
 
 〽昔年寄のたどいごど聞げば
 南風とは人とる風だ
 サーサこれから繩とる仕度
 
 〽サーサこれから繩とる仕度
 晒(さらし)手拭 向こう鉢巻で
 釣革(つりか) ちょいとはき腕巻きまいて
 
 〽二百五十尋の止(とめ)をばたごむ
 一のふたでば 何か みれば
 一の針には鮊(かすべ)でござる
 
 〽鱈もよう釣った胴の間かぐして
        追い積みいたし
 風は大吹く波高(たが)ぐなる
 サーサ船頭どの逃げねばならぬ
 
 〽家に帰れば親爺コア怒(おご)る
 いぐら親爺が怒ったがとても
 繩と生命は替れはされぬ
 
 〽そせば吉五郎理屈に負げで
 胴ぬ間若(わが)い衆に帆〓(ぐさ)らえ頼む
 サーサ船頭どの帆〓(ぐ)せもでぎだ
 
 〽繩はドント切る帆ば巻きあげで
 風をだましてギリガリとねじる
 一里二里なら手間なく〓(はせ)だ
 
 運の悪さに船〓(はせ)まがし
 一度二度なら船返(おご)したが
 そせば互いに疲れでしまう
 
 〽西に向いては金比羅様よ
 東向いては南無阿弥陀仏(なむあみだーぶつ)
 生命助けろ産土様(おぼしなさま)よ
 
 〽死ぬるこの身こあら厭(いと)わねが
 あどに残れしキヌ子でござる
 俺(おら)が死んだらただ他所(よそ)の花
 
 〽七日暮せど十日たでども
 船おば来ない
 そこで親子親類皆集まりて
 奥の一間(ひとま)さキヌ子ば招(よ)んで
 
 〽お前これから嫁でもゆく
 嫁ゆがねば婿でもとるが
 そごでキヌ子の申することに
 
 〽死んだ仏の供養のために
 金(かね)の鎖(くさり)ば自分につけて
 一生寡婦(やもめ)でひとりでくらす
 
 〽一生させるな鱈つり商売
 
 今川菊蔵 今川幸四郎 鱈釣り口説
 
 オエヤ
 〽茅部郡(かやべごおり)は 箱館の在
 在も在々 数ある中に
 滝で知られた古部の村よ
 古部村には 羽がござる
 〓別家の〓と言って
 
 〽親の代から タラ釣り家業
 誰が言ったか 昔の人が
 いやな商売タラ釣り商売
 鳥といっしょに朝起きなさる
 タラは大宗(たいそ)で ま喰(くら)が故に
 可愛い我が子になぜ継(まま)見せる
 そして 女房は 只 他所(よそ)の花
 
 〽海の熊だよ タラ場の鬼よ
 それは 誰よと 皆 人様が
 それは 古部の吉五郎でないか
 少し離れた 木直の村
 自分 舅を 舳先(オモテ)に乗せて
 可愛い弟を胴の間に乗せて
 そして自分は 船頭となりて
 
 〽三人組んでの タラ釣り家業(かぎょう)
 頃は何時よと尋ねてきけば
 頃は 正月十七日よ
 月は 朧(おぼろ)にかすんで見える
 朝の三時と思いし頃に
 
 〽自分女房を静かに起こし
 キヌ子キヌ子と二声三度
 浜に下がれば三途の川よ
 
 〽今朝の嵐(あらし)は 無情のあらし
 島の沖まで 船漕ぎいだし
 柱一ぱい 帆を巻き揚げて
 嵐〓(あらしばせ)にて下櫂(したがい)つけて
 餌(いや)を切り切り 居眠りなさる
 
 〽船は帆まかせ 帆は風まかせ
 恵山 釜口 灯台口(ぐち)よ
 椴法華すぎれば 一の岱(いちのたい)
 二の岱 中浜 方口(かたぐち) はや島
 見えた灯(あかり)は 八幡様よ
 
 〽恵山うしろは海向山に
 畑三枚だせ あのネジリ坂
 矢尻浜中かすかに眺め
 指して行くのは南部山口よ
 
 〽鱈は沖釣(づ)け 釜伏山(かまふせざん)よ
 奥(おく)の流れを さなかに開き
 サーサ船頭さん 繩うつ仕度
 
 〽帆をば引き下げ
        ショッフ張りなおし
 元樽(もと)をドンと投げ
           瀬繩を延(の)せば
 
 〽ゴメ(海猫)にシカベに あの海雀(うみすずめ)
 ここは鱈場の岡はじころよ
 繩も早(はや)うつ二十と一枚
 留(とめ) 瀬(せ) 三百 手早くまいて
 飯もたべたし一休みしよう
 
 〽若い者とは そうしたものよ
 二日三日(ふつかみか)の源平(げんぺい)の疲れ
 眠り過ごせば弟が起きて
 恵山お山の煙りを見れば
 西か 南か 南西の風(ヒカタ)の煙り
 
 〽昔年寄りの たとえ言ごときけば
 南西風(ヒカタかぜ)とは 人とる風よ
 これじゃならない繩とる仕度
 釣革(つりか)はいてな釣り前垂(めだり)当てて
 ねじり鉢巻き はや腕まぐり
 
 〽繩はムシロに時化(しけ)取り致し
 鱈もよく釣った
 胴の間からんで 追い積みいたし
 砂原のお山の ボダ雲見れば
 起電カワセか 矢の様に速い
 
 〽風巻(しまぎ) 強くなる 浪高くなる
 繩を捨てるは いと安けれど
 繩を捨てては 舅にすまぬ
 いかに舅にすまないとても
 繩と命は 替えられせまい
 
 〽繩を切捨て 逃げよじゃないか
 柱荷縛り 天秤(てんびん)結うて
 追い瀬 ながらに 繩切りはなし
 チンコ柱に三尺帆を揚げて
 落し〓(ばせ)にて 恵山の岬(みさき)
 
 〽一里二里なら手間ないけれど
 長の海路で 長折受けて
 それが運命と 諦めなされ
          ヤンレサアー
        荒木恵吾収録・編
   南茅部の民謡「鱈釣り口説節」

唄 松村政一翁(中央)木沢(左・太鼓)松村(右・尺八)


唄 佐々木勇吉翁(右)今川幸四郎翁(中央・太鼓)松村(中央左・尺八)荒木恵吾(左・記録)


唄 成田民蔵翁

 付記
 工藤鉄五郎 鱈釣り口説
                   NHK函館放送局
                   佐々木光政
               昭和五四年六月取材収録
 
 オイサエー
  さても哀れな 鱈つり口説き
  茅部郡の古部の村は
  あっちに四軒で こっちに四軒
  両方あわせて八軒村よ
 
  その家のうちにも〓といってな
  〓うちでは親子三人鱈つり商売
  親の又蔵が橋のたもとから
          沖ながむれば
  川の嵐で下(シモ)の日和り
  飯を炊き炊き 餌(いや)切りながら
 
 アー
  きヌ子キヌ子と二声三度
  そこでキヌ子は早(はや)目をさまし
  仕度できたら若衆を起こし
  浜にさがりて船乗り出せば
  シモの嵐で帆を巻き上げて
  下櫂つけつけ居眠りかいて
 
 アー
  沖もよくでた南部山口に
  繩をよう打った十七、八枚
  止めて一服居眠りすれば
  二日三日の源平のつかれ
 
  親の又蔵ふと目を覚まし
  恵山お山の煙りを見れば
  シカタ風とは早なりにけり
 
 アー
  これではならぬと若衆を起こし
  さあさ、これから繩とり仕度
  捻(ねじ)り鉢巻はや腕まくり
  釣り革(つりか)手に持ち釣り前垂(めだり)あてて
 
 アー
  二百四、五十の瀬(ひ)繩をぬけば
  繩をも、ようとる十二、三
  鱈もよう釣った
  胴の間かくして
        追い積みしてヨー
 
  昔、年寄りのたとえごと聞けば
  シカタ風とは人殺(ひとと)る風よ
  一里二里なら手間なきことよ
  五里と隔(せだ)まりゃ
       そんなわけにいかぬ
 
 アー
  風がだんだん強くなるし
  これではならぬと繩切り捨てて
  漕(か)けば漕(か)くほど閼伽入(あかは)り流す
  これではならぬと閼伽(あか)とり仕度
 
 アー
  瀬樽底ぬき閼伽とり出せば
  閼伽(あか)もとうとうとり尽くされず
  そこで三人とうとう二度と
        帰らぬ人となれば
 
 アー
  家でキヌ子は
   あれやこれやと浜に出てみれば
  船の姿が一向見えぬ
  親子親子に皆集まり
  浜に火をたく死人ばよせて
 
 アー
  とうとうその晩一夜を明かし
  二日三日、七日目で葬式して
  三十五日か四十九日も済まないうちに
  キヌ子お嫁にゆけ
    キヌ子お嫁にゆけと皆人しゃべる
  それでキヌ子は相
     〓の吉五郎さ嫁にいったとさー
 
 即興を本領とする民謡の心を伝えようと、新しい郷土の民謡の創作普及に熱意を抱く坂本由太郎(大正2生)の昆布口説ができた。
 
 坂本由太郎 昆布口説
 
 オエヤーサエー
 一つ唄いましヨ塩辛声で
 声の悪いのは両親譲り
 文句知らぬは師匠なき故よ
 
 オエヤー
 儂の生れ処褒めるじゃないが
 西は函館 東は恵山
 南茅部尾札部村ヨ
 
 オエヤー
 儂がお国で自慢ナものは
 明治大正昭和にかけて
 畏れおおくも天皇サマに
 
 オエヤー
 献上なされし尾札部昆布
 日本一ヨと折紙ついて
 後の世までも謡われまする
 
 オエヤー
 食べて美味しい土産によろし
 それに続いて昆布のお茶は
 味は自慢の日本一
 
 オエヤー
 七月土用にアラ入るなら
 朝にカモメが飛び立つ頃に
 浜の娘たちアおいでと招ぐ
 
 オエヤー
 名所名物数々あれど
 今宵おいで皆サン方よ
 またもこの先述べたいけれど
 丁度わたしのうけもち時間サエー
 アー ドッコイ/\ コラヤノヤ
 
 郷土の近在でうたわれる民謡は、古くは旅芸人により伝えられたものが多かった。
 鰊場へ出稼ぎにいった漁師たちが、場所で流行の唄を覚えて故郷へ帰って広めた土産の唄も、大きな流行の源動力となったという。
 娯楽が少なかった明治、大正まではお祭りや、お盆、正月が楽しみで、盆踊りはとくに男女の社交場として、公然と許されたという。数多い盆唄の中でも弥栄音頭は代表的な唄である。じょんがら節やよされ節、荷方節、追分など多くの民謡がうたわれた。
 
    弥栄音頭
  〽姉コこちゃ向けかんざし落ちる
          ハアーイヤサカサッサ
   かんざし落ちないナー 顔見たい
          アリャ 顔見たい
   落ちないナー 顔見たい
          ハア イヤサカサッサ
 
 ニシン場で陸にあげた鰊網にビッシリ卵(数の子)がついたのを、叩いて落とす作業うたとしてうたわれたという。
 元うたは青森の「鰺ヶ沢甚句」だといわれる。