〔鶴の湯〕

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 ① 鶴泉之記
   土人の云、此湯は昔樵夫日々此辺の山に入て薪を取帰りけるに、夕方になるや否鶴一羽何かを口に啄て此川筋に下るを見し故、不思議に思ひ、其下る辺を尋探し求めけるに、則一ツの温泉有。然るに其傍の樹の枝に矢疵を負ふたる雄鶴一羽とまり居けるが、是また二、三日を過て行見しかば其疵平愈して飛去しとかや。
   則其より此温泉に功能ある事をしりて、温泉壺となし、諸人を浴せしむる等、しるしたるままここに挙もの也。
                            松浦武四郎蝦夷日誌」弘化四年・一八四七
 
 ② 薬王神掲額文より                 比企眠山(明治20年)
   寛保ノ昔、此ノ嶺ニ鶴ノ群レ舞イ遊ビテ終日止(とど)マラズ。其ノ際、夷人其(なにがし)コレヲ観ル。(略)群レタル鶴ハ則チ薬王殿ノ神ノ使(つかい)ナリト(略)
                       (原文は漢文 解読荒木/原文全文「温泉」の項に掲載)
 
 ③ 川汲温泉
   往昔、臼尻村ニ〓印ナル資産家アリ。使役シ居タル一旧土人、冬期、鹿ヲ追ヒテ川汲山中ニ入リタルニ、白皚々タル積雪中ニ湯気上昇シテ雪ヲ見ザル一帯ノ地アリ。
   時ニ白鶴ノ舞下リテ隻脚ヲ浸スヲ見ル。恰モ負傷ヲ医スルモノノ如シ。彼、古来ノ伝説ヲ追噫シ、胸ヲ躍ラシテ近ツキ見ルニ果シテ温泉ナリキ。
                            函館支庁管内町村誌「尾札部村」大正七年
 
 ④ 川汲温泉「鶴の湯」
   安永年中(一七七二~八〇)、臼尻村 大坂家使役の一アイヌが、雪中鹿を追って川汲山中に入り、湯気立昇る池中に鶴の片脚を浸し居るを発見、之を温泉と知ったと伝えられる。
                            小林露竹「南茅部町史年表」昭和42年
 
 ⑤ 鶴泉記抄                     函館 斎藤大硯(大正五年夏)
   往昔、鶴有リ飛去リ飛来リ、泉ニ入リ泉ヲ出ズ。一日飛翔リ白雲揺曳スレド去ルコトヲ知ラズ。鶴ハ実ニ泉ニ浴シテ其ノ創痍遂ニ醫シ、謝スルガゴトク鳴キテ去ル。故ニ鶴ノ湯ノ称アリ(略)(文化一二年仙台の人千葉尚が掲額した温泉由来により記したとある。)
                          原文は漢詩 解読 荒木/原文「温泉」の項に掲載