旧石器時代

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近年は東北地方を中心に旧石器時代の研究が進み、とくに南部の宮城県では前期旧石器の発見が相次いでいる。なかでも宮城県北部を流れる江合(えあい)川流域に多くみられ、化石人骨などの発見はないが、石器の形態と出土土層から、北京原人と同時代人の存在も考えられている(8)。なお、青森県を含めた東北北部ではこのような前期旧石器は未発見であり、現在はおもに後期旧石器以後のものが発見されている。
 本州の北端に位置し津軽海峡を挟んで北海道と対峙する青森県は、南から伝来の文化を北へ渡し、北の文化が本州に最初に上陸する地の利を占め、いわば文化の交差地であった。しかし、さかのぼって地史でいう更新世の最終氷期の半ばに当る、第二亜氷(あひょう)期(約三~五万年前)に気温が上昇した結果、海水面が上昇し、北海道とつながっていた陸橋が切れて、津軽海峡が形成されたために、それまで障害もなく自由であった人類や動物の往来も不可能となり、文化面では石器の製法に異なりを生じ、動物の世界でも北のマンモスをはじめ、ナキウサギ・ヒグマ・クロテンなどは南下を拒まれ、ブラキストン線なる動物分布の境界が生まれたのである。

宮城県仙台市富沢遺跡で出土した旧石器時代の埋没樹

 青森県における旧石器文化の研究は、昭和二十四年(一九四九)の群馬県岩宿(いわじゅく)遺跡での旧石器発見以前は、夏泊(なつどまり)半島椿山(つばきやま)海岸においてエオリス(原石器)を発見したと称する報告(原石器とは認められていない)があり(9)、岩宿遺跡発見以後は、昭和二十八年(一九五三)第四紀研究のグループが金木(かなぎ)町の芦野(あしの)公園にある藤枝(ふじえだ)溜池の砂礫層を調査し、旧石器の発見に努めた。結果は残念ながら自然破砕であり、ヒトの手による石器製作技法と、自然による破砕との相違が明確となり、以後における旧石器の研究に大きな寄与をなした(10)。

群馬県笠懸町の岩宿遺跡


青森県金木町出土の自然破砕(偽石器)