混血の進展

36 ~ 37 / 553ページ
古墳時代に、その先進的な文化を摂取するために大和政権が積極的に帰化人(渡来人)を受け入れたことはよく知られているが、そのため、これまでの想像以上に大量の渡来系集団の日本への流入が進んだらしい。一説によれば、七世紀末までにその数は一〇〇万人以上にのぼるともいわれている。
 こうして西日本を中心に、在来の縄文系の人々との混血が急速に進むこととなり、その影響は次第に東日本にも及び始めた。帰化人の関東地方への移配もこのことと関係していよう。
 このことは、日本列島の西の方ほど北方的要素が強いという逆転現象を生じさせた。そしてこうした混血の影響をもっとも受けにくかった東北地方北部から北海道にかけての人々は、逆にもともと南方的な縄文人の伝統をよく受け継いでいくことになる。そして寒冷地適応を遂げていない(ほとんど混血の影響が見られない)アイヌこそ、原モンゴロイド縄文人の直接の子孫であると考えられるようになった(図10)。

図10 形質人類学からみた日本列島内人間集団の相関関係(埴原和郎作図)

 古代の蝦夷は、混血の程度からいうと、そうしたアイヌと現代和人との中間的な存在なのである。データが極めて少ないので難しいが、南の熊襲(くまそ)・隼人(はやと)も同様の存在であると推測されている。日本列島の北と南の端とで類似の状況が生じやすいことは、想像に難くない。
 この事実は、形質人類学の世界では、頭骨や歯の特徴、あるいは血液の遺伝子などの分類によってほぼ確かめられた。歯冠形態については、アイヌと沖縄人とのあいだの強い類似性も証明された。ABO式血液型の出現頻度については、北東北三県がアイヌにもっとも近いことも指摘されている。また最近ではミトコンドリアDNAという遺伝子の分析によって、より確実な証拠が得られるようになってきている。日本人のミトコンドリアDNAには、アジア各地の人間の特徴が混在しているのである。