それはともかく、ここでは賊主が悪路王(写真52)とされていることに注目できる。この悪路王は、話の筋からみて例の阿弖流為とされるのが普通である(ただし、民俗学者柳田國男は、これを悪霊を神として祀る「悪王子(あくおうじ)」の風習に基づくものとしている)。
写真52 悪路王の首像
一方、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』では清水寺創建の僧延鎮(えんちん)について触れた説話のなかで、田村麻呂が討った相手は高丸であるとしている。さらにそれが『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』では安倍高丸となり、奥州安倍氏一族のうちに位置づけられるようになっている。そして『義経記』では、「あくじの高丸」となり、「あくじ」=「悪事」=「悪路」と、先の悪路王ともつながっていくのである。
そしてこの悪路王高丸こそ、津軽安藤氏の始祖説話中の重要な人物となっていくのであるが、このことはまた後に触れる。