鎮守府将軍源頼義

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安倍氏を押さえるため、中央政府は登任に代えて、源頼義陸奥守とし、また彼に鎮守府将軍を兼官させた。このころは鎮官別任制がとられていたが、その慣例が破られたのである。またこれを機会に、出羽では秋田城介が中世まで任命されることがなくなった。
 さて頼義が任地に着くやいなや、にわかに天下に大赦があり、頼良も先の反乱の罪を許されてしまった。喜んだ頼良は、将軍頼義と同名であることをはばかって、以後は頼時と名乗ったという(史料四三八)。
 さてこうして平和裡のうちに、やがて頼義の任期が終わる年を迎えた。天喜四年(一〇五六)のことである。頼義は鎮守府の公務を行うために、胆沢城に入った。滞在すること数十日、頼時はこの地方の在庁を代表して「三日廚(みっかくりや)」にあたる饗応の儀を務めた。『陸奥話記』は、「頼時は首を傾けて給仕し、駿馬・金宝の類をことごとく幕下のものに献上した」という(史料四四〇)。