写真102 東京国立博物館本『津軽一統志』附巻
しかし外三郡の郡名については、同時代史料である中世の古文書類に一切登場せず、津軽地方は「津軽四郡」ないし「津軽三郡」(山辺郡を除く)と総称されるのが普通である。
また鎌倉役・京役にしても実態は不明なうえ、仮に王領(国衙領か)・武家領(荘園か)と同義と解するにしても、本項冒頭で述べたように、奥羽の地は、「郡」のような国衙領においても地頭の権限が絶大で、荘園などと区別できない状況である。また京役を、京都の権門貴族などの荘園領主への負担とする俗説もあるが、津軽が権門の荘園であったとの明証はまったくない。
こうしたことから、著名な「津軽(郡)中名字」は、中世の津軽の状況を正確に伝えているとは考え難い。そこに記された字名は貴重な史料といえるが、郡名については、近世における所伝としてはともかく、なお慎重な検討が必要であろう。