目次
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新編弘前市史 通史編1(古代・中世)
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第4章 中世前期
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第二節 鎌倉幕府の東夷成敗権と得宗領津軽
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三 得宗領としての津軽
北条得宗領の形成
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さてこれら
津軽地方
の諸地域は、
鎌倉時代
を通じて最終的にすべて
鎌倉北条氏
の
得宗領
となった得宗とは執権北条氏の嫡流(家督)のことで、二代執権義時の法名に由来する。
なかでも
津軽
平賀郡
が、早く北条義時の時代に
得宗領
化していることが、自らの地頭代として
曽我氏
を任命した文書の存在から知られている(史料五五一)。その契機としては建暦三年(一二一三)の和田合戦にて、義時が有力御家人、侍所別当和田義盛を滅ぼすという勝利を収めたときや、建保五年(一二一七)の義時の
陸奥
守就任が想定されている。