北条得宗領の形成

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さてこれら津軽地方の諸地域は、鎌倉時代を通じて最終的にすべて鎌倉北条氏得宗領となった得宗とは執権北条氏の嫡流(家督)のことで、二代執権義時の法名に由来する。
 なかでも津軽平賀郡が、早く北条義時の時代に得宗領化していることが、自らの地頭代として曽我氏を任命した文書の存在から知られている(史料五五一)。その契機としては建暦三年(一二一三)の和田合戦にて、義時が有力御家人、侍所別当和田義盛を滅ぼすという勝利を収めたときや、建保五年(一二一七)の義時の陸奥守就任が想定されている。