鎌倉幕府滅亡後、安藤氏にとっては、自らの権力の拠(よ)りどころとしてきた蝦夷沙汰職をめぐる動向が最大の関心事となった。
すでに述べたように、当初それを掌握しようとしたのは、後醍醐天皇から鎮守府将軍に任ぜられた足利尊氏である。尊氏は、安藤氏の世界である外浜や糠部郡内の北条泰家遺領を与えられ(史料六五五)、本格的に北奥地域の掌握に取り組み始めたのである。
こうして蝦夷沙汰と鎮守府将軍が密接な関係をもつようになった。しかし尊氏が建武新政府から離反すると、鎮守府将軍の職は北畠顕家に移り、建武政権側に蝦夷沙汰を掌握する法的根拠が生じていた。鎌倉幕府滅亡後のこうした激しい政変のなかで、安藤氏は実に巧みに立ち回り、自らの蝦夷沙汰の職を確保していくのである。