たとえば、農業生産のために鋤や鍬が必要だと考えると、鋤先(すきさき)・鍬先(くわさき)の素材となる鉄(鉄鉱石などの素材鉄)を入手し、それを精錬して鋼を作り、鋼を加工して鋤先・鍬先を作らなければならない。さらに、鋤先を装着する木器を成形して作った上で装着し、初めて使用できる状態になるのである。この場合、素材鉄が身近な地域にある場合とない場合があり、後者では素材鉄そのものを交易によって入手しなければならない。
弘前市境関館遺跡の井戸跡(SE〇三)から出土した鉄鋌(てい)状鉄製品(図50)は、これまで遺跡の出土例が少ないためその機能に関しては不明とされていたが(写真173)、最近になって、鋼素材の可能性がある遺物として注目され始めた。従来は鉄製品を作るに当たって、地元の砂鉄を原料として作っていたであろうという考え方が支配的であった。しかし、古代以来の鍛冶遺構の構造や出土した鉄製品の成分分析によって、素材となる鉄の原料供給を大陸に求めるべきであるとの指摘も出てきている。
図50 境関館出土の鉄鋌(左)
写真173 浪岡城の鉄鋌(右)
このような鉄生産にかかわる事例や陶磁器の動きのように、考古学資料からは、自給的な中世社会というより広域の流通経済を基本とした社会が想定され、東アジア的な視野からの地域生産を考える段階になっている。
以下、中世の場合、遺跡調査が城館に偏っている面はあるものの、境関館遺跡を中心として具体的出土遺物からみた生産の在り方と、そのための道具の存在についてみていきたい。