真理ハ事ヲ離レテ得ベカラズ。事ヲ離レテ論ズル理ハ皆空理ニシテ、聖人ノ教ニ一毛モ益ナシ。
「理」は、「事」を離れてそれ自体が超越的な実体として存在するものではなく、どこまでも「事」のうちにはらまれた、個々の法則もしくは規範概念としてのみ存する。したがって「事」に先だって「理」を論ずるとすれば、それは皆「空理」であって、「真理」ではない。「事」そのものにつき「唯事ヲ精一ニ尽ス」ことのうちに得られるもの、これを「真理」という。
このように朱子学の存在論の根底にある先験的な「天理」の観念を認めない乳井が、そこから導き出されるところの心法論をも否定するのは当然のことである。乳井は心の修養ということをそれ自身としてはまったく問題としていない。
乳井の著作に触れて誰しも気付くであろうことは、「今日唯今(こんにちただいま)」という語を多用することである。
今日唯今ヲ外ニシテ聖学ナシ。聖学今日也。今日聖学ナリ。
「今日唯今」という言葉は乳井にとって極めて重い思想的意味合いをもって語られている。乳井は有能な実務家であったが、と同時に類まれな一貫した哲学をもった思想家でもあった。彼の思想の中核にあるのは、政治を担う武士として強烈な職責意識である。目の前にある飢饉のこの惨状にどう対応していくか、ここを彼は思索の出発点に置く。朱子学では民を治めるのに先立って自分の身を修めよと説く。なるほどよき政治家であるには、よき人格者であるに越したことはない。しかし、だからといって身が修まるのを待っていたならば、今この目の前にいる飢えた民はどうなるのか、と乳井は朱子学の修己から治人への修養論を「今日唯今」の「用」に役立たないものとして、その観念性を鋭く批判する。
身が修まることを待ってその後で社会の統治に心がけるなどというのは、実は面倒な事を先送りするための逃げ口上にすぎない。明日を待たず「今日唯今」、ここの、この「事」に全力を注げというのである。乳井は時間の流れから「今日唯今」を鮮やかに切り取る。「今日唯今」この瞬間にすべてを賭けよ、と乳井はくり返す。このように、逡巡躊躇(しゅんじゅんちゅうちょ)することなく、この今を踏み出せといった切迫した考え方は、たとえ一時期にせよ藩政を実際に担った彼の体験に基づいていよう。「窮民」、すなわち飢饉の惨状を目の前にして、猶予は一刻たりとも許されなかったのである。「世乱れ、民窮すれども、一人志を経済に嘆く学者なし。哀むべきの至り也」と、乳井は民の困窮を目前にしながらそれに無策な世の学者の学問の質を問う。乳井にとって学問はどこまでも「国家の用に立つ」べきものでなければならなかった。乳井は国家有用の学問を「聖学」と呼んでいるが、その内容は明らかに実用と実践を重んじた「実学」であった。