(三)民衆負担の増大と一揆

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 津軽弘前藩の財政造は、米方の収入源は年貢米徴収を基盤とし、金方の収入はその売却を基盤としている。この造は蝦夷地警備が始まっても変化はなく、したがって新規の財源がない中、恒常的に支出が行われる蝦夷地警備費の増大は、通常経費を大きく圧迫していった。詳しくは本章第四節二において述べるが、金方収入における警備費の割合は、寛政九年(一七九七)以降ほぼ毎年一〇パーセント以上を占め、文化四年(一八〇七)には約三七パーセント、その後文化十年に至るまで約二〇パーセントにも及んでいた。緊縮財政のもと、民衆への負担転嫁はますます増大していったのである。