「国日記」享保九年(一七二四)十月十五日条にみえる倹約令の第七・八条では(資料近世2No.二一六)、振舞の時には一汁二菜とし、酒はにごり酒(自家製の濁酒か)を飲むようにとされている。
天和二年と享保九年とでは、かなりの年代差があるが、振舞の時の食事は同程度であったことが知られよう。
これに対し『弘藩明治一統誌月令雑報摘要抄』の「農家の風習並雑報」の項(同前No.二四八)に、幕末の嘉永期(一八四八~五四)における中家以上(本百姓以上か)の食事が次のように具体的に記されている。
皿鉢 ホッキ(𩸽)魚・干鱈(ほしたら)・干鮊(白魚か)、鰈(かれい)ニ蒟蒻(こんにゃく)・芋丸長の内、
同上 鱈の刺身・大角豆(ささげ)・牛蒡(ごぼう)、或焼金頭(かながしら)魚・干鯣(ほしするめ)或小串魚・鰰(はたはた)・鯖(さば)、
丼 胡蘿蔔(人参)・芋・牛蒡・豆腐・田作魚(ごまめ)或ハ鮹(たこ)・烏賊(いか)、
丼 数の子・豆腐・青菜(あおな)・辛子和物(からしあえもの)、
押 塩鱒(ます)或鰈或鮭(さけ)魚、
吸物 鮊或ハ鱈の雲綿(タチ)、鯖或ハ鯡(にしん)或ハ鮒(ふな)、味噌スマシ仕立、醤油なし、白餅五ツつゝ或赤飯一盆つゝ一人つゝ据ゆ、酒ハ手造の濁酒、
平 胡蘿蔔、豆腐、魚、牛蒡、日和貝(ひよりがい)、
汁 大根卸、
皿 大根鱠(なます)、塩鮭一切、
香の物、白飯或ハ赤飯、
この献立は、幕末の富裕農民の食生活の一面を示すもので、日常の食事ではない。「国日記」嘉永六年(一八五三)十二月十七日条によれば、日常のほかに婚姻・仏事などの時でさえ一汁二菜と規定されている。これと右の献立を比較すれば、大きなズレを認めざるをえない。これは特殊な献立であるとはいえ、一汁二菜の規定は守られていなかったものと考えられよう。