具体的に料理の献立は、「
国日記」宝暦五年(一七五五)十二月三日条にみえ、
運送方(うんそうがた)の者たち(農村の者のほかに弘前・
青森・
鰺ヶ沢(あじがさわ)・
深浦(ふかうら)・十三(とさ)〈現北津軽郡市浦村(しうらむら)〉の
町人の名前がみえ(合計二七六人)へ、藩から左のようなものが下賜されている。
図
接待を受けた場所は不明であるが、右のメニューから食事の順序は、最初はご飯と汁におかずは鱠(なます)と煮物、その後に酒盛り、最後に出てくるのがお菓子である。
宝暦五年は
凶作の年であり、
運送方二七六人は
飢饉を乗り越えるため藩の施策に協力し、賞されたのであろう。