まず、江戸藩邸に所蔵されていた書画骨董については必ずしもすべてが判明していないが、個別の作例で重要な記録のひとつは、御擬作(みあてがい)として弘前藩の庇護を受けた江戸時代中もっとも優れた工芸家であった小川破笠(はりつ)の作品四点の記載(「御道具帳」)である。その中に現在出光美術館が所蔵する「柏に木菟蒔絵(みみずくまきえ)料紙箱」と「春日野鹿蒔絵(かすがのしかまきえ)硯箱」がある(口絵13・14)。実際これらの外箱やその蓋裏には、信寿作の漢詩を後藤仲龍が書き破笠が造作したことが記されている。破笠と信寿の関係は「独楽徒然集」の刊行などきわめて密で、今後の破笠研究に伴い明らかになる点が多いはずである。
絵画では名高い伝俵屋宗達筆の「蔦細道図屏風」(萬野美術館蔵)は明治になって弘前に運ばれたようだが、当時相当痛んでいてその修理の状況が詳しく記録されている。それ以上に有名な尾形光琳筆の「紅白梅図屏風」(MOA美術館蔵)については、前者同様、明治になって弘前に運ばれ修理を受けたらしいことしか知られず、「弘前藩庁日記」でも確認できなかった。宝永年間に光琳が津軽家に出入りしてこの屏風を制作したという伝承があるが、その真偽は依然不明である。むしろ光琳以外で「御道具帳」記載の「地球之図御屏風」や「一件綴」記載で維新後江戸から運ばれたらしい「土佐将監筆柴船柳絵屏風」は現存作品に該当する可能性が高い。ほかには英(はなぶさ)一蝶や狩野常信など信寿ゆかりの絵師たちの絵、雪村や狩野元信、永徳らの古画屏風などが記録されているが、現存を確認できるのは弘前市立博物館蔵の常信筆山水図屏風など数点にとどまることが惜しまれる。
図184.狩野常信筆 紙本墨画淡彩山水図屏風