藤先寺

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藤先寺(とうせんじ)は、天正元年(一五七三)に開山を中岳とし、藤崎村(現南津軽郡藤崎町)に創建され、後に大光寺(だいこうじ)村(現南津軽郡平賀町)へ移った。
 中岳は為信の使者となって庄内(現山形県)の大山義信のもとに赴き、帰途、秋田盲ヶ鼻(めくらがはな)の関所で怪しまれ鼻をそがれた。為信はこの功により寺領三〇石を寄進したとも、慶長二年(一五九七)、為信の正室仙桃院(せんとういん)の弟五郎・六郎の死去の際に寄進したともいう。寺号は五郎・六郎の戒名「空春藤公」・「達叟先公(たっそうせんこう)」によった。同八年、為信の娘で津軽建広へ嫁した富姫が死去すると、ここを菩提寺とした。この時、近衛前久が供養のために贈った和歌六首が現存する。慶長年間(一五九六~一六一四)、弘前へ移った。

図218.近衛前久筆津軽富姫弔歌