庚申信仰

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庚申(こうしん)信仰は、我々の身体にいる三尸(さんし)の虫が、六〇日ごとに巡ってくる庚申の日に、天に昇って天帝に行動を告げるので、徹夜して虫が出ないように見張るという道教の守庚申から来ている。これに、仏教の帝釈天(たいしゃくてん)の使者青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)や、神道では猿田彦(さるたひこ)を充(あ)てて祀った。
 信枚が天正十九年(一五九一)に大風が吹いた日をわざわざ庚申の日としているのは、庚申の日は天気が荒れる庚申荒れや、七庚申は豊作、五庚申は鎌いらずで凶作とする庚申と天候を結びつけるあり方を示しているのでないかという(小舘前掲書)。宝永元年(一七〇四)には、藩から街道筋に庚申塚を建てることを禁止する布令が出された(資料近世2No.四二四)。
 領内の庚申塔は九九四基を数え、最も古いものは元禄十五年(一七〇二)の青面金剛像である(小舘前掲書)。菅江真澄の紀行文「外浜奇勝」(『菅江真澄全集』一九七二年 未来社刊)には、寛政八年(一七九六)に「くれて人々の来集まるにまじりて庚申ぞしたりける、円居して聞あかさましなれもかくねぬ夜をここらなくむしのこえ」と庚申待の様子を記す。庚申像に供物をささげ、庚申の真言を唱えて除災・招福を祀り、会食後に夜通し話をするのであるから、レクリエーションも兼ねた風俗習慣だった。

図249.普門院にある庚申塔


図250.常盤神社の青面金剛像庚申塔