ともあれ、自由民権運動に対する政府の弾圧政策は、地方自治の上では官選戸長制に逆行し、組合町村制の成立となった。明治十六年六月十八日の県布達で、七月一日以後戸長は県庁において選任すとなり、その配置と組合町村の区域は別に定められた。中津軽郡には二〇の組合が成立し、弘前の八九ヵ町は第一組から第五組の戸長役場地区に分けられた。しかし、翌十七年十月には当初番号をつけられていた組合の呼称に変更が加えられ、次のような呼び方に改められた。
中津軽郡第一組戸長役場
→中津軽郡弘前本町外十六ヶ町戸長役場
中津軽郡第二組戸長役場
→中津軽郡弘前土手町外十六ヶ町戸長役場
中津軽郡第三組戸長役場
→中津軽郡弘前和徳町外廿一ヶ町戸長役場
中津軽郡第四組戸長役場
→中津軽郡弘前東長町外廿二ヶ町戸長役場
中津軽郡第五組戸長役場
→中津軽郡弘前鷹匠町外九ヶ町戸長役場
明治二十二年四月一日、弘前市が誕生するとともに、この各町は弘前市の大字となった。しかし、戸長役場の行政区域は第一部から第五部の名称で納税・貯蓄・火防・衛生・学区などで市民生活に生き残った。行政や市民生活から消えるのは、第二次世界大戦時代の大政翼賛会下部における町内会・隣組の新体制運動であった。旧五部制は、昭和三年の清水村富田及び紙漉町の編入で第六部が新設された。
以下、弘前市域の関係分は次のとおりである。
富田村外八ヶ村戸長役場 旧第六組
堅田村外八ヶ村戸長役場 旧第七組
新里村外六ヶ村戸長役場 旧第八組
門外村外三ヶ村戸長役場 旧第九組
小栗山村外四ヶ村戸長役場 旧第十組
駒越村外六ヶ村戸長役場 旧第十一組
国吉村外四ヶ村戸長役場 旧第十四組
船水村外九ヶ村戸長役場 旧第十六組
種市村外四ヶ村戸長役場 旧第十七組
賀田村外十一ヶ村戸長役場 旧第十八組
独狐村外五ヶ村戸長役場 旧第十九組
大森村外五ヶ村戸長役場 旧第廿組
南津軽郡(弘前地域関係分)
薬師堂村外六ヶ村戸長役場 旧第廿五組
石川村外二ヶ村戸長役場 旧第廿六組