郵便事業

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近代郵便制度は、前島密(ひそか)によって立案されたが、当初、郵便物の運送は飛脚によった。
しかし、政府は郵便事業を官業とすることに決め、明治四年一月に郵便規制を制定、同年五月から東海道地域で郵便事務を開始した。これは既存の定飛脚問屋と競合することとなったが、結局、駅逓頭(えきていのかみ)前島密らの説諭に従って定飛脚側が書信逓送業を廃止して、貨物運搬を専業とする会社の設立に乗り出した。そして明治五年六月に社名を陸運元会社と称して、駅逓寮の直轄保護の下に一面御用達会社として専ら一般貨物の運送請負業に従事したほか、官営郵便の下請業務にも携わった。これにより郵便事業はすべて政府が行うことになった。
 本県においては、明治五年七月一日に福島から盛岡、青森、函館に至るものと、福島から秋田、青森を経て函館に至る郵便が開始された(青森県議会史編纂委員会『青森県議会史』自明治元年至明治二十三年、一九六二年)。同日、弘前にも郵便取扱所が開設され、土手町六二番地(蓬莱橋際)の住居を充て、浅利嘉三郎、馬渡周助郵便御用取扱人を仰せつけられた。この取扱所は等外三等格で、脚夫を五人置き、碇ヶ関経由東京行きが六昼夜、青森、大間経由函館まで二昼夜かかり、脚夫は一時間に三里(一二キロメートル)走ることになっており、一里六銭の給料を支給された(弘前電報電話局『弘前の電信電話 交換開始七十年』一九七九年)。明治六年に四等役所、九年には三等となり、弘前郵便局と改称された。

写真26 明治42年落成の弘前郵便局

 また、明治十二年(一八七九)三月二十五日から県下の郵便局において貯金業務が開設された。
甲第三〇号
県下西津軽郡鰺ヶ沢中津軽郡弘前南津軽郡黒石上北郡野辺地七戸下北郡田名部三戸郡五戸八戸各郵便局ニ於テ駅逓局貯金方法開設本月二十五日ヨリ施行相成候条当県甲第百四十五号ヲ以テ預ケ金致度者ノ心得書ヲ添諭達ニ及候次第モ有之候得共猶一般人民徹底シ節倹ノ余金預ケ方注意可致此旨布達候事
明治十二年三月十四日                       青森県令 山田秀典