米取引の商況

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明治二十六年(一八九三)の弘前市を巡る商況について、青森県内務部編になる『青森県勧業要報』に報告が掲載されている。これにより、弘前市の特産品がどのように取り引きされていたのかを見ていきたい。報告はいずれも、弘前市商工事報告員の寺田次郎の執筆になるものであった。
 まず、弘前市の米取引について、五月二十五日に次のように報告されている。
(五月廿五日報)弘前市商工事報告員 寺田次郎
 本市米商ノ最多ク取引スル津軽米ノ産地ハ南、北、中津軽ノ三郡ナリ、客歳初秋ノ頃マテ秋田諸鉱山ヘ輸出稍頻繁ナリシカ、本年ハ同地方ニ於テ秋田米ノ取引アル為メナルカ、少シモ輸出ナク、随テ市場沈静ノ景況ナリ、而シテ客歳十二月ヨリ本年三月ノ間ハ格別商勢活溌ナラズト雖モ、其取引アリタル地方ハ北海道庁函館、札幌ニシテ、即チ輸出改良米数量千〇二十六石二斗(玄米五百六十四石六斗、精米四百六十六石、精糯五石六斗)、代価七千〇五拾五円拾弐銭五厘(玄米壱石ニ付六円八拾七銭五厘、精米一石ニ付八円)ナリ、其他米商惣代ノ検査ヲ要セスシテ青森地方ヘ取引輸出シタル概算高ハ、七百五十石ニシテ、三月以降ハ道路工事ノ為メ、青弘間悪路トナリ、運搬賃騰貴シ、其利益少キカ為メ、暫ク輸出ヲ猶予シ居ル景況ナリ
(『青森県勧業要報』三七号)

 これにより、弘前市の米商人が津軽各地の米を取り扱い、秋田県の鉱山や北海道へ移出していたことがわかる。米については、同年の七月二十一日と八月十二日にも報告している。それは次のものである。
(七月二十一日 八月十二日 報)同人
 客月初旬ヨリ本月四日ニ至ルノ間、市場米価遽(ニワカ)カニ変動ヲ来タセシ原因ヲ精査スレハ、春時堅田(水泥田ヲ除ク)一番打ヨリ二番打ノ間ハ幸ヒ快晴、田面乾燥、将ニ三番打ニ取掛ラントセシニ霖雨数日ニ渉リ、従テ乾燥セルマテ一時休業セシカ、既ニ挿秧(ナエ)ノ期節ニ逼迫シタルヲ以テ、不時ノ繁雑ヲ極メ、粗忽ニ打砕シ、且ツ肥培ノ仕様モ充分ナラサルニヨリ、稲草ノ生育ハ瘠(セキ)弱ニシテ、株ノ形状及ヒ茎葉共ニ萎小ナリ、遠地ハ巡見セサレトモ、近地中津軽郡ノ内駒越村部内、大浦村部内、南津軽郡ノ内石川村部内、近村ハ稲虫(方言葉虫形ハ土虫ニ似テ色青シ)ノ被害アルノミナラズ、屡々冷風ノ為メニ稲葉多ク黄色ヲ帯ヒタル景況ナリシカ故ニ、農夫等之レヲ憂慮シ、遂ニ米穀ヲ市場ニ売出サヽル為メ、意外ニ米価騰貴セリ、即客月初旬ヨリ二十五日マテノ米価ヲ平均スレハ、上等玄米壱俵(四斗入)ニ付弐円五拾三銭八厘、中等玄米壱俵ニ付弐円四拾八銭八厘、俗ニ云フ(今摺)玄米壱俵ニ付弐円六拾弐銭(売買ハ少ナシト雖トモ参考ノ為メ調査ス)ナリ、白米小売ハ前報ト異動ナシ、又其二十六日ヨリ本月四日ニ至ル十日間ノ平均ハ、玄米(今摺)小売壱俵ニ付上等弐円七拾四銭五厘、中等弐円七拾銭三厘、下等弐円六拾六銭ナリ、仝シク(寒摺)小売壱俵ニ付、上等弐円七拾銭、中等弐円六拾五銭八厘、下等弐円六拾銭八厘、白米小売壱升ニ付、上等七銭九厘、中等七銭七厘、下等七銭五厘ナリ、仝月五日ヨリハ気候稍々適順ニ帰シ、且越後米ハ青森ヘ輸入セシヨリ、日増米価低落ノ傾向アリ
(同前)

 この報告から、天候不順や稲虫による被害の発生が、米価を上昇させ、気候の回復に伴い米価が低落傾向になったことがわかる