朝陽小学校では逸早くこれを設置したもので、奉置所は校内左手に位置し、学校生徒職員は登下校に当たってこれに敬礼することを例とした。同奉置所は同窓会員野村清太郎ほか有志が、寄附金三百余円をもって完成したもので、同年十一月十三日地鎮祭執行、十四日同校創立四十年記念式当日に上棟式を挙行、これを学校に寄附したのである。市内小学校で二番目に御真影奉置所を設置したのは和徳小学校で、大正十三年七月のことである。朝陽小学校より一〇年遅く建てられたわけで、朝陽小学校の設置がいかに早いかわかるであろう。
その後、御真影奉置所は各小学校に設けられ、奉置所は校地内の神域として、児童の登校・下校の際は最敬礼するのを常として、天皇制教育の表徴的存在としての役割を果たしたのである。
写真179 石川小学校奉安殿落成式
(昭和4年5月)
なお、昭和二十一年(一九四六)一月、日本敗戦後アメリカ進駐軍は各学校に下賜された御真影の回収を命じ、二十二年に至って、再びアメリカ進駐軍の命によって、奉置所の取り壊しが行われた。偶像崇拝を徹底的に排除しようとの進駐軍の意図からである。