第二大成小学校の焼失

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大正六年五月十八日、清水村富田(現弘前市富田一丁目)の民家から出火、大火となり、第二大成小学校が焼失した。大火は富田本村から品川町、新品川町、土手町、松森町、楮町、新楮町、豊田村外崎に延焼、全焼家屋は五三三戸に達した。
 出火は午後零時十五分、折からの強風に品川町に延焼し、第二大成小学校は午後一時半焼失した。同校では御真影を住吉神社に奉遷したが、同神社も危険になったため、同校訓導二人が警官先導のもとに朝陽小学校奉置所に奉移して無事を得た。
 焼失後、第二大成小学校は第一大成校と和徳校を借りて二部授業を行った。第一大成校とはもともと同一学区であり、学校も近かったので問題はなかったが、和徳小学校との二部授業は、距離も遠く何かと不便が多く、そのため児童の学力に影響するので、市は蔵主町にある公会堂(現在のNHK弘前支局の敷地にあって、以前は時敏小学校校舎として使用、大正三年から公会堂)に手を加え、八月三十日から第二大成小学校の児童を移し、二部授業を解消した。第二大成小学校の新校舎は同年の十月に着手、翌七年一月には新校舎で授業を開始した。

写真181 大正6年富田大火火元附近の焼け跡