終戦直後の国民学校

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二十年八月二十日前後、市内各国民学校では、市役所の指示に基づいて校内特設防護団を解消し、取り外していた学校の塀を再び取りつけ、校庭の蛸壷式防空壕を埋め戻した。九月二十日、県は進駐米軍所在地の女子中学校に休校の指令を出すとともに、国民学校長宛に注意事項があったが、その主なものを挙げる。
 ・児童ハ米軍自動車ニ投石セザルコト。マタ自動車ヲ追イカケタリ、車ノ前ヲ横切ラザルコト。
 ・チョコレートソノ他ノ食物ヲ求メテ見苦シイ態度ヲ取ラヌコト。
 ・道路上デ物ヲ食ベヌコト。食べ殼ヲ捨テヌコト。道路上デ遊バヌコト。
 ・立小便、盗ミハセヌコト。
 以上は、米軍の進駐に備えて、児童に不祥事の起らないよう注意を与えたものである。弘前市に米軍が進駐したのは九月二十六日で、米軍第八軍第九軍団ミュラー少将麾下(きか)の第八一師団に属する部隊で、通称をワイルド・キャットといい、将兵は左腕に山猫の印(しるし)をつけていた。
 米進駐軍の来弘と同時に、市内各校の女子教員は出校を停止された。進駐米兵の女子に対する乱暴狼藉を恐れたための措置であったが、案に相違して米兵は全く紳士的だったため、十月十五日に至って解除された。なお、ワイルド・キャット部隊の宿舎は旧野砲隊兵舎(現市立第三中学校敷地)や弘前公園内兵器庫跡、その本部には接収された「角は」デパートが充てられた。十月十日、市内各国民学校は校門に英字で校名を表示することになった。進駐軍にわかりよくするためである。『○○ PRIMARY SCHOOL』と横文字が掲示されたが、進駐軍が退去すると、英字の校名も取り外された。