昭和五年は弘前高等女学校の創立三十周年記念の年に当たり、記念式典が行われた。折からの不景気風をよそに弘高女にとっては躍進の年であった。四月には校旗樹立式、六月一日には、新運動場のお披露目も兼ねた運動会が開催されている。記念事業の一つであった記念会館(後に同窓会館と命名)が七月から着工し、九月には落成した。建築費三〇〇〇円は、卒業生からの寄付とバザーや音楽会の収益で賄われた。この同窓会館建設を機に、校友会から卒業生部門が独立して同窓会が結成された。
弘高女の学校行事の中で、最も華やかであったのは運動会であった。六月一日の創立記念日に行われるのが決まりで、この日は雨が降らないというジンクスがあり、女学校の運動会は市民の待ち望んだものの一つであった。観客の動員数でも群を抜いており、昭和四年には開会前に三〇〇〇人も集まったという。さらに同六年の運動会には、警察官が出動して入場者の整理に当たったともいう。弘前歩兵第三一連隊大隊長として秩父宮殿下が赴任した年には、妃殿下も弘前へ来られ、弘高女の視察をされたこともあり、この年の運動会はことのほか人気が高まり、入場者が一万人を超えるという未曾有の盛況ぶりであった。