二人市長事件

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この政治状況のもとに起きた弘前二人市長問題は、時局から離れた政党政治の末期的現象だった。長期間東京にあって病気療養中の第一三代弘前市長宮館貞一は、八年七月十六日辞表を提出した。その後任候補として、政友派は党元老の石郷岡文吉、非政友派は陸軍予備大佐吉岡文蔵を推し、一五対一五の接戦だったが、八月九日に至って吉岡派は一八人の議員を確保、翌十日、市長選挙のための動議を提出すべく市会に臨んだ。しかし、市長代理谷口助役が病気と称して行方不明になり、市会は無期延期された。非政友派は助役の捜索願いを出し、市会招集請求をした。

写真94 第13代市長宮館貞一

 劣勢の政友派は、市長候補者を県弁護士会長三上直吉に変更した。ここで非政友派から東海、神山、二葉議員を得た。このため非政友派は吉岡候補を東海健蔵に替え、土田議員を脅して市会出席不能とし、土岐議員を暴力団をして大鰐へ拉致(らち)せしめた。八月十三日の市会には、弘前署は高等係の三刑事、特高の二刑事を派遣、傍聴人入口と議員入口に制服巡査を配して警戒した。午前九時開会予定だが、政友派出席せぬため定員に満たず開会延期、午後零時三十分、政友派出席するが、非政友派出席せぬためこの日は流会。この両派の争いを、新聞は「戦法の陋劣全く唾棄(だき)に値する、市の将来に百害あって一利なく、自力更生途上のわが弘前市はますます窮境に陥るのみ」と批判したが、議員たちは聞く耳を持たなかった。
 両派は二十四日に再度対決した。まず、市会開会と同時に、非政友派の柏議員から工藤議長懲罰不信任の動議が出され、その退場を迫ったが議長は動かず、その間に田議員から不信任案に反対の動議が出されて、工藤議長を加えて一五人の賛成を得て、不信任案動議は不成立となった。
 しかし、工藤重任副議長は議長席に椅子を並べて、工藤福弥議長はすでに退席しているものと認め、不信任動議は一四対一四なので副議長の二権行使で動議成立と頑張り、議長が二人ということで、議場は議員の怒号と傍聴人の野次(やじ)で喧騒、このとき、神山、田、野村三議員から市長選挙の件が同義として提出され、工藤福弥議長は選挙立会人に神山、田陵名を指名、一方、非政友派工藤重任副議長も、また、境、柏両名を立会人に指名し、議場混乱裡に投票、開票の結果、一五票三上直吉、次点一四票東海健蔵となって三上直吉当選、その後、議場混乱のため議事進行できぬと十時三十五分議長は散会を宣言して退席、政友派の議員も退場した。しかし、非政友派はこれに異議ありと退場せず、工藤副議長から今の選挙は違法なりとの理由のもと、みずから議長として再び市長選挙に移り、山内書記が投票用紙を配付、投票があり、一四票で東海健蔵当選、次いで議案を審議、谷口市長代理の議案説明があって、一瀉千里に議案全部を可決、議事録署名者に平川、明石両議員を指名、このとき、柏議員動議ありとして、起立前の市会で否決された谷口市長代理所在不明についての問責を行おうとしたが、工藤重任副議長から「まあまあ」の言があって動議撤回、十時五十六分、一市に二人の市長が当選して閉会となった。
 閉会後十一時三十五分、谷口助役は東海健蔵に当選告知書を正式に通牒、非政友派が引き揚げるや政友派議員が市役所に至り、谷口助役は午後零時五分、三上直吉にも当選告知書を発送した。このとき谷口助役は、氏家弘前警察署長に、東海氏に当選通知を出しだのは非政友派議員の暴力で出したと言明した。かくて谷口助役は市会終了後、公務執行妨害の有無に関する弘前署の聴取を受けた。政友派は午後二時、中三において三上新市長当選祝賀会を開いた。
 しかし、二十六日、多久青森県知事からこの市会は招集手続違法で取り消すと告示され、また、同時に、抗争の間の理事者の態度に不穏当なものがあるので稲田亀次県地方課長を市長職務管掌に任命、改めて公平なる市会を招集し、市長選挙の公正を期すとした。
 この混乱に対して、和衷協同を望む市民大会や、市政上の大不祥事とする弘前商工会の警告決議などがなされた。後任市長選挙市会は八月三十日午前九時招集された。非政友派東海健蔵を候補者に立て、政友派三上直吉を候補者とした点は前回と変わらなかったが、政友派は土田議員の一票がいかに行使されるかに注目し、土田議員が石郷岡市長のもとで助役だった成田徳之進に投票したのを見すまして、全員一致成田徳之進に投票し、一五票で勝利を得た。成田新市長はすでに七十八歳だった。「自治制に政党の入るのは止むを得ざるも今回のごとくその策謀が変幻を極めては今やその弊害にたえざる感あり」の世評があった。成田市政はわずか九ヵ月だった。

写真95 第14代市長成田徳之進