「すべては、出発したあとに考える」という状態であったのはどこも同じだが、曙町(現桔梗野三丁目)にあった旧第三一連隊兵舎(当時は市立高等女学校校舎)の一部を使用することになった第三中学校は、机、椅子はもちろんのこと、紙一枚、チョーク一本ないという状態で出発しなければならなかった。
写真131 第三中学校が発足当時校舎として使用した桔梗野旧歩兵第31連隊兵舎跡
しかし、第一中学校の場合は、高等科生徒が使用していた机、椅子、教具を引き継いだので、校舎や教室の面で不自由な面はあったが、さしたる支障はなかった。第二中学校の場合も市立商業の校舎を借りていたので同校講堂で、また、第四中学校は青森師範学校の仮用附属になることが決まっていたので、附属小学校(朝陽小)の講堂で、それぞれ開校式を挙行した。
ただ、第三中学校だけは前述のような状態だったので、旧軍隊で使用していた雨覆場(屋根と柱だけの土間)に生徒を集めて開校式を行わなければならなかった。当日、生徒に付き添ってきた父兄は、あまりのみすぼらしさに仰天し、「とてもこんな学校には入れられぬ」と、即刻私立学校へ転校手続きをとったものもあったという。事実その年は、公立に比し校舎や教具が完備している私立中学校(東奥義塾、聖愛中、柴田中)へ進学する者が例年になく多かったという。この日開校した弘前市の中学校の組織、学級編成は表28のとおりである。
表28 新制中学校発足時の組織と学級編成 | |||||||
校名 | 校長 | 職員数 | 生徒数 | 学級数 | 所在地 | 学区 | |
第一中学校 | 土屋直好 | 二二 | 1 | 三五五 | 一五 | 弘前市元寺町 | 時敏小 |
2 | 二九〇 | 時敏小学校に設置 | 和徳小 | ||||
3 | 五〇 | ||||||
第二中学校 | 工藤秀俊 | 一三 | 1 | 一六三 | 七 | 弘前市蔵主町四 | 城西小 |
2 | 二〇一 | 弘前商工学校の一部を借用 | |||||
3 | 三九 | ||||||
第三中学校 | 山辺将二郎 | 一五 | 1 | 四三九 | 九 | 弘前市富田曙町 | 一大小 |
市立高等女学校の一部を借用 | 二大小 | ||||||
第四中学校 | 須貝清一 | 一四 | 1 | 二七一 | 六 | 弘前市元町一 | 朝陽小 |
2 | 三〇 | 青森師範学校附属小学校の一部を借用 | |||||
3 | 三七 | ||||||
(「生徒数」欄のアラビア数字は学年を示す) |