合併に当たり市当局は、旧市内はもちろん、合併する町村に対しても諸般の調査を行っている。当時の市当局はどのような調査を行ったのだろうか。『市町村合併に関する書類』という行政文書から見てみよう(弘前市立図書館所蔵)。
総務係、行財政係、教育係、民政係、治安係、産業経済係、都市計画係、公営企業係の各係が調査事項を上げている。総務係や行財政係は、それぞれ市域の問題や合併前後の予算問題など、合併で必要とされる事項を調査している。教育係も合併に伴う学校の位置や通学範囲など、基本的な教育に関する調査を行っている。
これに対し民政係の調査は項目も多く、調査範囲も多種多様にわたっている。福祉行政が進展してきた証拠である。それを物語るかのように公営住宅建設計画や児童福祉施設の整備、母子対策、生活保護対策、身体障害者援護対策など、福祉政策の基本的な施策が調査対象となっている。塵芥・糞尿処理やトラホーム(トラコーマ)をはじめとする伝染病予防対策も進められ、保健衛生対策に力を入れだしたことも特徴的である。このほか注目されるのは産業経済係で、弘前市の基本である農業生産に関する調査項目が多数上げられている。
昭和三十年(一九五五)の弘前市建設計画によれば、「新市はあらゆる資源を活用し生産力を高め、経済力を増強する外、教育文化の向上をはかり社会福祉施設を拡充し、もつて市民生活を豊かにする」とある。端的にいえば、新市建設の最大眼目は産業経済の振興であった。農地造成や地力増進をはかり農業生産を拡充することが、真っ先に上げられたのは、そのためである。農業生産で得られた農産物を原材料として工業を振興させ、工場建設を促進して工業製品の販路開拓に必要な諸施設を作り、併せて商業も盛んにするなど、連携的な政策を打ち出したことも注目されよう。基本方針の結論として計画書は「新市民に与える希望は明るい」と締めくくっている。けれどもこのような大規模な計画を立てられるほど、市の財政は豊かでなかった。計画の附属書類に、国や県に対して財源を補助してもらう要望事項が明記されていたのは、何よりの証拠である。
昭和三十年二月二十五日、弘前市政調査会が設置された。会長は学識経験者のうちから市長が委嘱することになっていた。調査委員は行政、産業、文教、都市計画、民生の五項目を調査研究し、調査室には職員を配置して市長の補助機関の職員を充てた。市の執行機関は市政調査会の調査に協力し、市の職員も調査委員会に出席し意見を述べることができた。調査会は市役所を挙げての大事業だった。そしてこの調査会を中心として、市は合併五ヵ年計画を立て、実行に移していくわけである。