後藤健次(ごとうけんじ)は、明治三十五年(一九〇二)、弘前市鷹匠町に生まれた。大正八年、福士幸次郎に手紙を出す。それが契機となり、「パストラル詩社」が結成されることになる。
大正十五年三月、日本大学を卒業と同時に第五十九銀行に入社。四月、詩誌「北方詩風」を創刊する。七月には北方詩風社詩話会を開き、一戸玲太郎、桜庭芳露をはじめ、今官一ら「わらはど」のグループや、郷土音楽研究家の木村弦三(きむらげんぞう)、俳人の山口寿(やまぐちひさし)らと交流を深めた。昭和五年には「座標」の詩の部の編集委員を務めている。昭和五十年(一九七五)、死去。