盆踊り

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民謡のなかで、もっとも曲種と曲数の多い分野が、盆踊り歌である。内藤官八郎(ないとうかんぱちろう)(天保三-明治三五 一八三二-一九〇二)は『弘藩明治一統誌 月令雑報摘要抄』で、「古例が崩れ、男女入交じり、しまいには悪ふざけにも及ぶので、明治開新が始まると、同五年七月に踊は廃止された」と説明している。しかし、この種の規制は厳しくなかったのか、庶民が依然として行っていたのが諸記録でわかる。明治七、八年ころには下土手町の橋のたもとで踊ったが、十年以後は大円寺、土場(どば)の町遊廓、新楮町、住吉神社、橡(とち)ノ木(き)辻の上で踊り、大正時代は大円寺、住吉神社招魂社誓願寺、寿町・北横町の遊廓で踊り、午後十一時まで許可され、時間を守らない者は検挙されることになっていた。曲はジョンカラ節、アイヤ節、よされ節、口説節、その他にソガヤ踊であったと松野武男(まつのたけお)(明治二九-昭和五一 一八九六-一九七六)は「津軽民謡史」で述べている(神良治郎編『郷土史 むつ』第三輯(津軽民謡史 明治篇)、第四輯(同 大正篇)、陸奥郷土会、一九三〇年、一九三五年)。
 各地区ごとに行われていた盆踊りは、地区により変容、衰退、廃絶してしまったが、「津軽ドダレバチ大会」が弘前駅前商店街振興組合の主催により行われている。《ドダレバチ》は津軽を代表する昔ながらの盆踊り歌である。