美馬市立図書館/美馬の記憶 デジタルアーカイブ
みま歴史散歩

白人しらひと神社じんじゃ神明神社しんめいじんじゃコース

穴吹町あなぶきちょう口山字くちやまあざ宮内みやうちにある、阿波あわはん家老かろうでありわき城主じょうしゅであった稲田いなだ家の信奉しんぽうあつかった白人神社と、今ものこ石垣いしがきほこら神秘的しんぴてきな神明神社をたずねるコースです。

発着地点
白人神社駐車場
距離
約0.5km
所要時間
約20分※所要時間には、見学に要する時間は含まれていません。

白人しらひと神社じんじゃ

白人神社 白人神社 白人神社 白人神社 白人神社

伝承(でんしょう)によると、仁賢(にんけん)天皇(てんのう)時代(じだい)にこの()白髪(はくはつ)老翁(ろうおう)天下(あまくだ)り、この()を「宮内(みやうち)」と(あらた)めるよう発言(はつげん)したのが起源(きげん)とされます。保元(ほうげん)(らん)(1156(ねん))の(あと)讃岐(さぬき)崇徳(すとく)上皇(じょうこう)をたずねてきた(みなもとの)為朝(ためとも)阿讃(あさん)国境(こっきょう)相栗(あいぐり)(とうげ)(ゆみ)()いたところ、その()白人(しらひと)神社(じんじゃ)()ちたと(つた)えられています。この(ふる)(ゆみ)神社(じんじゃ)宝物(たからもの)となっており、旧正月(きゅうしょうがつ)十四日(じゅうよっか)にはお(まと)神事(しんじ)(おこな)われていました。 慶長(けいちょう)年間(ねんかん)(1596(ねん)-1614(ねん))のはじめに、稲田(いなだ)修理亮(しゅりのすけ)示植(しげたね)によって再興(さいこう)されたといわれ、阿波(あわ)(はん)家老(かろう)であり(わき)城主(じょうしゅ)(のち)淡路(あわじ)城代(じょうだい)となる)であった稲田家(いなだけ)信奉(しんぽう)(あつ)かった神社(じんじゃ)です。 稲田氏(いなだし)代々(だいだい)(よろい)(かたな)()などの寄進(きしん)をたびたび(おこな)っていますが、「白人大明神(しらひとだいみょうじん)」と(きざ)まれた(がく)稲田(いなだ)主税助(ちからのすけ)植春(うえはる)奉納(ほうのう)したもので、彗雲鉄啀の(しょ)によるものです。そのほか同神社(どうじんじゃ)保存(ほぞん)されている(えびら)木製(もくせい)で、蜻蛉(とんぼ)(かたち)()(もの)(ほどこ)し、全国的(ぜんこくてき)にも類例(るいれい)(すく)ないといわれています。また稲田(いなだ)九郎兵衛(くろうべえ)植久(たねひさ)奉納(ほうのう)した絵馬(えま)は、狩野(かのう)方信(かたのぶ)黒馬(くろうま)()いたものです。 石灯籠(いしどうろう)(うえ)には白人(しらひと)神様(かみさま)のお使(つか)いと(つた)えられる白兎(しろうさぎ)()かれています。

神明神社(しんめいじんじゃ)

国指定史跡

神明神社 神明神社 神明神社 神明神社

安永(あんえい)8(1779)(ねん)の「白人(しらひと)大明神(だいみょうじん)由来書(ゆらいしょ)」によると、寛保(かんぽう)年間(ねんかん)(1740年代(ねんだい))に発見(はっけん)されました。穴吹川(あなぶきがわ)隣接(りんせつ)する丘陵(きゅうりょう)尾根(おね)先端部(せんたんぶ)(もう)けられた石垣(いしがき)による異形(いぎょう)(ほこら)南北(なんぼく)(やく)7メートル、東西(とうざい)(やく)22メートルの石垣(いしがき)による長方形(ちょうほうけい)囲状(いじょう)(てい)します。南側(みなみがわ)に3ヵ(しょ)入口(いりぐち)北側(きたがわ)に5ヵ(しょ)(ほこら)(もう)けられています。築造(ちくぞう)年代(ねんだい)詳細(しょうさい)不明(ふめい)ですが、石積(いしづみ)技法(ぎほう)や「白人(しらひと)大明神(だいみょうじん)由来書(ゆらいしょ)」の記述(きじゅつ)から、(すく)なくとも現在(げんざい)姿(すがた)については近世(きんせい)以降(いこう)のものと(かんが)えられます。成立(せいりつ)年代(ねんだい)比較的(ひかくてき)(あたら)しいものの、神社遺構(じんじゃいこう)として(ほか)類例(るいれい)がなく、貴重(きちょう)史跡(しせき)です。 昭和(しょうわ)62(1987)(ねん)3(がつ)11(にち)穴吹町(あなぶきちょう)指定(してい)史跡(しせき)指定(してい)され、現在(げんざい)美馬市(みまし)指定(してい)史跡(しせき)となっています。