
白人 神社 ・神明神社 コース
①白人 神社
伝承によると、仁賢天皇の時代にこの地に白髪の老翁が天下り、この地を「宮内」と改めるよう発言したのが起源とされます。保元の乱(1156年)の後、讃岐の崇徳上皇をたずねてきた源為朝が阿讃国境の相栗峠で弓を引いたところ、その矢が白人神社に落ちたと伝えられています。この古弓は神社の宝物となっており、旧正月十四日にはお的の神事が行われていました。 慶長年間(1596年-1614年)のはじめに、稲田修理亮示植によって再興されたといわれ、阿波藩の家老であり脇城主(後に淡路城代となる)であった稲田家の信奉が厚かった神社です。 稲田氏は代々鎧・刀・画などの寄進をたびたび行っていますが、「白人大明神」と刻まれた額も稲田主税助植春の奉納したもので、彗雲鉄啀の書によるものです。そのほか同神社に保存されている箙は木製で、蜻蛉の形の彫り物を施し、全国的にも類例が少ないといわれています。また稲田九郎兵衛植久の奉納した絵馬は、狩野方信が黒馬を描いたものです。 石灯籠の上には白人の神様のお使いと伝えられる白兎が置かれています。
②神明神社
国指定史跡
安永8(1779)年の「白人大明神由来書」によると、寛保年間(1740年代)に発見されました。穴吹川に隣接する丘陵の尾根先端部に設けられた石垣による異形の祠。南北約7メートル、東西約22メートルの石垣による長方形の囲状を呈します。南側に3ヵ所の入口、北側に5ヵ所の祠が設けられています。築造年代の詳細は不明ですが、石積技法や「白人大明神由来書」の記述から、少なくとも現在の姿については近世以降のものと考えられます。成立年代は比較的新しいものの、神社遺構として他に類例がなく、貴重な史跡です。 昭和62(1987)年3月11日、穴吹町の指定史跡に指定され、現在は美馬市指定史跡となっています。