長野県立歴史館 信濃史料

「信濃史料」 巻二十六 (1頁~)


1頁~ next 100頁~ next 200頁~ next 300頁~ next 400頁~ next 500頁~ next 600頁~ next 700頁~ shuroku 「信濃史料」巻別収録年代に戻る


・ 綱文(記事)をクリックすると、綱文とその出典を掲載した画面が表示されます。
天皇 年月日 西暦 記事
明正寛永九年一二月一日1632幕府代官岩波道能、佐久郡本新町村に本年年貢を割付く、尋いで、同郡高野町村等に、本年年貢を割付く、1
明正寛永九年一二月一二日1632松本城主戸田康長、卒す、尋いで、子同康直、嗣ぐ、5
明正寛永九年一二月一二日1632諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、10
明正寛永九年一二月二〇日1632松城城主真田信之、大瀬玄為に知行を加給す、11
明正寛永九年一二月二三日1632幕府代官岩波道能、佐久郡井出次久より、本年分領内山役銭を請取る、11
明正寛永九年一二月二六日1632真田信之の子同信重、徳川家光に目見えす、12
明正寛永九年一二月二六日1632飯田城主脇坂安元の家臣岩田与兵衛、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門より、米を請取る、 岩田与兵衛、勘右衛門より米を請取る、12
明正寛永九年一二月二八日1632高遠城主保科正之、従四位下に叙せらる、13
明正寛永九年一二月二八日1632脇坂安元の家臣松原秀政、伊那郡下殿岡村の越米払を皆済せるを証す、14
明正寛永九年一二月二九日1632江戸火災に依り、小諸城主松平忠憲憲良、等の屋敷、類焼す、15
明正寛永九年1632佐久郡貞祥寺住持秀浦、蓓蔓、同寺住持を秀蓓訳州、に譲り、高井郡泉竜寺に住す、16
明正寛永九年1632佐久郡正安寺住持大竜、虎谷、同寺を退き、同郡大昌寺に隠居し、昌逸、格翁、正安寺住持となる、17
明正寛永一〇年正月一日1633林道春、羅山、脇坂安元の新年試筆の和歌の脚韻を和して、詩を製し、之を安元に贈る、18
明正寛永一〇年正月六日1633幕府、諸国に巡検をを派遣す、小出三院尹等、信濃等十六ヶ国の巡検を命ぜらる、18
明正寛永一〇年正月一〇日1633幕府代官天羽景慶の手代坂原武兵衛等、高井郡浄運寺の依頼に依り、同寺領朱印状の下附につき景慶等に添状を請ふ、21
明正寛永一〇年正月一五日1633徳川家光、同秀忠の一周忌法会のため江戸増上寺に参詣す、脇坂安元等信濃の諸大名、寺中の警衛を勤む、22
明正寛永一〇年正月二四日1633真田信之等信濃の諸大名、江戸増上寺の徳川秀忠の仏殿成るに依り、灯篭を寄進す、23
明正寛永一〇年正月二五日1633筑摩郡八日市場の長作、千代の年季奉公の短縮を同郡青柳太兵衛に請ふて許さる、25
明正寛永一〇年二月二日1633幕府、木曽福島宿に、定書を達す、 幕府、佐久郡芦田宿並びに岩村田宿に定書を達す、25
明正寛永一〇年二月一〇日1633幕府、脇坂安元に命じ、飯田城内に幕府用米蔵を造り、米千石を貯蔵せしむ、29
明正寛永一〇年二月一三日1633徳川家光、保科正之に屋敷を与ふ、尋いで、正之の屋敷を保科正貞に与ふ、32
明正寛永一〇年二月一五日1633木曽山村良豊・千村重長、徳川家光に目見えす、32
明正寛永一〇年二月二〇日1633高井郡邑主福島正利、同郡の加兵衛をして、同郡高井野村荒井原の地を開発せしむ、33
明正寛永一〇年二月二〇日1633延暦寺執行天海、南光坊、宝蔵院俊海の水内郡戸隠権現社等を再興せしを賞し、社僧の色衣着用を許す、33
明正寛永一〇年二月二九日1633伊那郡虎岩村、是日より、種子米を借用す、35
明正寛永一〇年1633幕府、徳川忠長の家臣加藤新太郎を、真田信之に預く、明年、新太郎、死す、35
明正寛永一〇年三月三日1633伊那郡虎岩村の百姓、木材本切の扶持寺米を請取る、36
明正寛永一〇年三月八日1633松平忠憲憲良、の家臣金田房吉、小県郡霊泉寺に逆修作善を修し、且つ、地を寄進す、37
明正寛永一〇年三月一二日1633保科正之・高嶋城主諏訪頼水等、徳川家光より料理を賜はる、39
明正寛永一〇年三月一五日1633是より先、佐久郡北沢の酒屋八左衛門、幕府代官岩波道能より酒造米等を借用す、是日、之を返納す、39
明正寛永一〇年三月一七日1633延暦寺執行天海、南光坊、伊那郡光前寺に法度を頒つ、40
明正寛永一〇年三月二八日1633藤枝善丞、筑摩郡小野社に御戸帳箱を寄進す、41
明正寛永一〇年1633幕府、上田城主仙石政俊等に、江戸城本丸等修理の普請手伝を命ず、42
明正寛永一〇年四月三日1633明正天皇、一鯨、鯤翁、を筑摩郡徳雲寺住持となす、42
明正寛永一〇年四月九日1633幕府、松本城主戸田康直を播磨明石に移す、尋いで、越前大野城主松平直政を松本に移す、 越前福井城主松平忠昌、松平直政に、松本城邑請取のため家臣を江戸に差遣はすべきを告ぐ、 康長、梵舜天外、を招き松本に全久院を開かしむ、43
明正寛永一〇年四月一六日1633幕府、大番組頭中川忠次等を松本に遣はし、松本城を松平直政に渡さしむ、47
明正寛永一〇年四月一九日1633真田信之、徳川家光より、帰国の暇を賜はる、48
明正寛永一〇年四月二七日1633幕府代官岩波道能、佐久郡井出次久より、前年分の領内山役銭を請取る、49
明正寛永一〇年五月一八日1633松本城主松平直政等信濃の諸大名、徳川家光より、帰国の暇を賜はる、49
明正寛永一〇年五月一八日1633幕府、伊那郡邑主井上庸名等に、明年徳川家光上洛の駅路・旅宿割を命ず、尋いで、庸名等、京都に赴く、50
明正寛永一〇年五月二八日1633脇坂安元の家臣藤村七左衛門、伊那郡上飯田村より、前年分の種子借米を請取る、53
明正寛永一〇年1633越前福井城主松平忠昌、名古屋城主徳川義直の老臣成瀬正虎に、松平直政家臣の妻子の木曽福島関通過を依頼す、53
明正寛永一〇年六月五日1633真田信之、海野宮内等に足軽を預く、尋いで、成沢勘左衛門等にも預く、54
明正寛永一〇年六月九日1633真田信之、松代町の置目を定む、57
明正寛永一〇年六月一〇日1633片桐貞昌、江戸より京都に上らんとし、是日、諏訪郡蔦木に宿泊す、尋いで、中山道を通り美濃に赴く、59
明正寛永一〇年六月一七日1633伊那郡虎岩村、是日より、本年年貢の納払手形を記す、60
明正寛永一〇年七月一日1633幕府、保科正之と岩城平城主内藤政長の娘、及び幕府奏者番山口重政の子同弘隆と諏訪頼水の子同忠恒の娘との、縁組を許す、63
明正寛永一〇年七月一〇日1633小県郡信綱寺住持京察、通山、明奕に嗣法し、また明奕、耕誉に付法す、64
明正寛永一〇年七月一二日1633伊那郡長久寺住持宗陳、蒲澗、一期の後、同寺を同郡竜門寺慶西堂の徒珍蔵主に譲与せんことを約す、 長久寺寺領目録65
明正寛永一〇年七月一五日1633諏訪社上社神宮寺僧重慶、諏訪郡九頭井池に入水して寂す、67
明正寛永一〇年七月二一日1633真田信之、村上庄助に、父同識部の死後その跡職を安堵すべきを約す、68
明正寛永一〇年七月二五日1633高井郡泉竜寺住持嶺達、道室、寂す、尋いで、秀浦、蓓蔓、同寺に継住す、68
明正寛永一〇年七月三〇日1633松平直政の家臣市川久兵衛、安曇郡中屋村等をして、馬の柵木を出さしむ、69
明正寛永一〇年1633大工矢助、水内郡高山寺三重塔を造立せんとし、権進を始む、69
明正寛永一〇年八月一日1633安曇郡塩島村野勘左衛門、鉄砲所持の鑑札を受く、73
明正寛永一〇年八月二日1633幕府、徳川義直をして、明年の江戸増上寺客殿造営用材を木曽山より出さしむ、是日、同用材請負人大坂天満材木屋九兵衛等、幕府に伐出材木の員数を注進し、幕府の許可を請ふ、尋いで、幕府、之を許す、 幕府、徳川義直に明年の江戸城普請材木を出さしめんとし、義直、園田善大夫を江戸に下す、73
明正寛永一〇年八月二七日1633松平直政、安曇郡成相新田問屋の塩漬わらび等荷送りの伝馬の員数を定む、76
明正寛永一〇年八月二八日1633松平忠憲、憲良、佐久郡八幡原新開分を検地す、78
明正寛永一〇年1633大竜、虎谷、道元戒切紙を昌逸格翁、に伝授す、80
明正寛永一〇年九月五日1633山城建仁寺・南禅寺前住、建仁寺大統院塔主慈稽、古澗、寂す、81
明正寛永一〇年九月一六日1633諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡和泉村の惣兵衛に、前年分年貢の納払皆済目録を渡す、94
明正寛永一〇年九月二〇日1633脇坂安元、伊那郡上川路村等を検地す、 脇坂領内の検地名寄帳等96