長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十六 (700頁~)
1頁~
100頁~
200頁~
300頁~
400頁~
500頁~
600頁~
700頁~
「信濃史料」巻別収録年代に戻る
・ 綱文(記事)をクリックすると、綱文とその出典を掲載した画面が表示されます。
天皇
年月日
西暦
記事
頁
明正
寛永一三年一〇月五日
1636
小県郡河原町の百姓、同町の取箇目録を仙石政俊奉行所に指出す、
705
明正
寛永一三年一〇月九日
1636
堀直升、高井郡綿内村の本年川成引を定む、
706
明正
寛永一三年一〇月一一日
1636
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村等領内緒村の本年免相を定む、
707
明正
寛永一三年一〇月一七日
1636
小県郡定津院住持英点、雪堂、退院し、同寺を佐久郡城光院宗雪嶺室、に譲る、
708
明正
寛永一三年一〇月一八日
1636
幕府代官青木俊定等、高井郡亀倉村等に、本年年貢を割付く、
709
明正
寛永一三年一〇月一八日
1636
山村良豊の家中宮川善左衛門等、木曽王滝村の彦六より、買榑年貢を請取る、
713
明正
寛永一三年一〇月二五日
1636
佐久郡貞祥寺前住持秀鈯、訳州、寂す、
714
明正
寛永一三年一〇月二六日
1636
是より先、諏訪社上社権祝矢島綱正、その子を出羽山形に遣はし、保科正之の同城への移封を賀す、是日、正之の家臣篠田隆吉、綱正に書を送り、之を謝す、
714
明正
寛永一三年一〇月二六日
1636
伊那郡虎岩村、同村の旱損分を記す、
715
明正
寛永一三年
1636
佐久郡貞祥寺住持海浦、山叟、同郡大徳寺住持となる、
716
明正
寛永一三年一一月一日
1636
松平直政、病癒へ、徳川家光に目見えす、
716
明正
寛永一三年一一月四日
1636
松平直政領安曇郡上一本木村、是日より、本年年貢払方覚を記す、
717
明正
寛永一三年一一月六日
1636
是より先、諏訪頼水の子同忠恒、木曽福島関山村良豊に、諏訪より上方に赴かんとする女三人の、同所通過を依頼す、是日、良豊、幕府所定の手形を所持せざるに依り、之を断る、
718
明正
寛永一三年一一月七日
1636
佐久間安次、勝長、水内郡妙泉寺に地を寄進す、
719
明正
寛永一三年一一月九日
1636
徳川家光、水内郡善光寺・戸隠社に、所領安堵の朱印状を与ふ、
720
明正
寛永一三年一一月九日
1636
松平直政、徳川家光より、放鷹の獲物を賜はる、
721
明正
寛永一三年一一月一三日
1636
井上庸名、その采地伊那郡今田・南山大草諸村の本年免相を定む、
721
明正
寛永一三年一一月二一日
1636
佐久郡井出次久、幕府代官岩波道能の手代島田理兵衛を介し、勘定所に寛永十一年分年貢払勘定目録を指出す、
725
明正
寛永一三年一一月二一日
1636
幕府代官岩波道能の手代島田理兵衛、佐久郡井出次久に、寛永十一・十二両年分年貢請払鑑定の完済せるを報ず、
726
明正
寛永一三年一一月二三日
1636
幕府代官近山安俊等、高井郡西条新田村等に、本年年貢を割付く、
727
明正
寛永一三年一一月二五日
1636
脇坂安元の家臣松原政重、伊那郡下殿岡村の少九郎に、同村納の年貢米を預く、
729
明正
寛永一三年一一月二六日
1636
松平忠利、忠節、佐久郡安原村等の本年免相を定む、
730
明正
寛永一三年一一月二七日
1636
美濃久々利の山村重生、その妹を松平直政の家臣中村清兵衛に嫁せしめんとし、千村重長・山村良豊を介して、徳川義直の老臣成瀬正虎に、同女等の木曽福島関通過の手形を請ふ、
731
明正
寛永一三年一一月二八日
1636
堀直升の子同直輝、大学、徳川家光に初めて目見えす、
732
明正
寛永一三年一一月二九日
1636
真田信之、岩崎正蔵に知行を給す、尋いで、常田金平にも給す、
732
明正
寛永一三年
1636
真田信之、水内郡栃原村河浦彦作をして、同郡鬼無里村等を取締らしむ、
733
明正
寛永一三年
1636
山村良豊、徳川義直とその老臣等に、鳥黐を進む、
734
明正
寛永一三年
1636
水内郡性乗寺住持某、断松より、絶方派之大事を伝受す、
735
明正
寛永一三年一二月二日
1636
伊那郡虎岩村の百姓、同村平沢新十郎より、上げ綿の代米を請取る、
735
明正
寛永一三年一二月二日
1636
伊那郡虎岩村、鳥黐等のつなぎ米を同村百姓に割付く、 虎岩村平沢新十郎等、千柿の代米等を請取る、
736
明正
寛永一三年一二月四日
1636
伊那郡安養寺の徒尭辰、円俊房、悉雲問答抄を大和郡山円融寺に書写す、
738
明正
寛永一三年一二月六日
1636
朝鮮信使、来朝し、是日、江戸に著す、幕府、脇坂安元等に命じ、之を接待せしむ、
739
明正
寛永一三年一二月七日
1636
真田信之、金井忠兵衛をして、留守中の城中番所並びに門の警衛を厳重に致さしむ、
746
明正
寛永一三年一二月八日
1636
伊那郡開善寺、同寺の徒了屋の、西堂昇位の官銭を請取る、
747
明正
寛永一三年一二月九日
1636
山城妙心寺、伊那郡竜門寺の徒全正宗、首座を座元に昇位す、
747
明正
寛永一三年一二月一〇日
1636
幕府代官岩波道能、佐久郡高野町村等に、本年年貢を割付く、
748
明正
寛永一三年一二月一八日
1636
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
750
明正
寛永一三年一二月二五日
1636
幕府代官近山安俊の手代中俣才兵衛、高井郡小田中村の前年分代金納年貢を皆済せるを証す、
751
明正
寛永一三年一二月二七日
1636
是より先、筑摩郡今井勘右衛門、同郡松本に新銭座を望む、是日、松平直政の老臣等、之を許す、
752
明正
寛永一三年一二月二九日
1636
佐久郡高見沢左伝次、本年の出入勘定書を注す、
753
明正
寛永一三年
1636
山村良豊、徳川義直の家臣に、氷餅の白米を請取りし旨を報ず、
753
明正
寛永一三年
1636
伊那郡嶺頭院台岩、血脈袋の作法を書す、
754