長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十六 (600頁~)
1頁~
100頁~
200頁~
300頁~
400頁~
500頁~
600頁~
700頁~
「信濃史料」巻別収録年代に戻る
・ 綱文(記事)をクリックすると、綱文とその出典を掲載した画面が表示されます。
天皇
年月日
西暦
記事
頁
明正
寛永一三年五月一三日
1636
清水谷実任、女中衆を京都より脇坂安元の許に遣はさんとし、京都所司代板倉重宗に関所手形を求む、是日、重宗、手形を発す、
633
明正
寛永一三年五月二二日
1636
松平忠憲、憲良、大阪城番に赴任のため、領内に伝馬を割付く、
634
明正
寛永一三年五月二八日
1636
伊那郡小川村の八幡社祢宜左大夫、朝日近路受永、の証文を焼失せし旨を、千村重長に書上ぐ、
634
明正
寛永一三年六月一日
1636
幕府、銅銭寛永通宝、を鋳造し、是日、新銭に関する定書を信濃等諸国に触る、
635
明正
寛永一三年六月一日
1636
安曇郡日岐盛貞、同郡仁科神明に神鏡を寄進す、 日岐盛貞、安曇郡日岐天満天神宮を建立し、同社に天神宮縁起を納む、
637
明正
寛永一三年六月四日
1636
諏訪頼水の子同忠恒、諏訪郡慈雲寺に禁制を掲ぐ、
638
明正
寛永一三年六月八日
1636
小県郡東昌寺住持見察、知山、寂す、
639
明正
寛永一三年六月一三日
1636
伊那郡片桐の内七窪村等諸村、前年分の年貢を皆納す、
639
明正
寛永一三年六月一五日
1636
伊那郡虎岩村百姓、是日より、上げ綿・麦を納む、
640
明正
寛永一三年七月六日
1636
是より先、飛騨高山城主金森重頼、木曽福島・贄川関番に、飛騨より江戸に赴く女等の同所通過を依頼するも、手形の不備に依り拒まる、是日、重頼の老臣等、重ねてその通過を依頼す、
641
明正
寛永一三年七月六日
1636
松平直政、生御霊祝儀として、徳川家光に銀を献ず、
642
明正
寛永一三年七月九日
1636
佐久郡井出次久、同郡幕府領臼田組寛永十一年分の年貢勘定目録を指出す、
643
明正
寛永一三年七月一三日
1636
真田信政の子内信守、徳川家光に初めて目見えす、
644
明正
寛永一三年七月一五日
1636
徳川家光、江戸増上寺に、牽詣し、法問を聴く、案平直政等、之に随ふ、
644
明正
寛永一三年七月二一日
1636
幕府、高遠城主保科正之を出羽山形に移し、故出羽山形城主鳥井忠恒の弟同忠春鶴千代、を高遠に封ず、 保科正光、同正之の家臣等の書状の中、高遠在城年代頃と思はるる文書
646
明正
寛永一三年七月二五日
1636
松平直政、安曇郡細萱村明神社に祭礼料を寄進す、
662
明正
寛永一三年七月二七日
1636
藤右衛門、伊那上穂村の勝右衛門等に、同村前年分の年貢算用状を渡す、
662
明正
寛永一三年七月二八日
1636
徳川家光、松平直政等に、放鷹狩獲の雲雀を与ふ、
663
明正
寛永一三年七月三〇日
1636
保科正之の家臣篠田隆吉、諏訪社上社権祝矢島綱正に、出羽山形へ移住の後も祈念せられんことを依頼す、
664
明正
寛永一三年八月二日
1636
高井郡谷巌寺、幕府代官に、同寺の寺領のことを注進す、
667
明正
寛永一三年八月三日
1636
伊那郡の小左衛門、同郡小野村小野長左衛門より、質形を以つて金子を借用す、
668
明正
寛永一三年八月八日
1636
幕府代官岩波道能の手代市川五兵衛、佐久郡井出次久より、米代金を請取る、
688
明正
寛永一三年八月八日
1636
伊那郡虎岩村の百姓、是日より、早稲米を上納す、
669
明正
寛永一三年八月一三日
1636
佐久郡大徳寺住持秀浦、蓓蔓 寂す、
677
明正
寛永一三年八月一五日
1636
松平直政、旧の如く安曇郡大町の勘左衛門に居屋敷の役儀を免ず、
678
明正
寛永一三年八月一七日
1636
松平直政の家臣根岸佐次右衛門等、安曇郡塩島村の前年分年貢を皆済せるを証す、
678
明正
寛永一三年八月二一日
1636
幕府、江戸城総構虎口の新屋敷を、松平直政等に与ふ、
680
明正
寛永一三年八月二一日
1636
伊那郡阿嶋安養寺の徒尭辰、円俊房、悉雲十八章事と題する聖教を書写す、
680
明正
寛永一三年八月二六日
1636
松平直政、安曇郡仁科神明の式年造替を行ひ、是日、還宮を行ふ、
681
明正
寛永一三年八月二九日
1636
島介左衛門、伊那郡上穂村の喜太郎等に、同村前年分の年貢皆済状を渡す、
682
明正
寛永一三年
1636
幕府、井上庸名に、江戸城久保町口門の奉行を命ず、
683
明正
寛永一三年
1636
筑摩郡瑞松寺、小県郡浦野荘竜泉寺旧蔵の梵鐘を得て、之を同寺に懸く、
684
明正
寛永一三年
1636
佐久郡貞祥寺住持秀鈯、訳州、同寺を海浦山叟、に譲り、同郡大徳寺に隠居す、尋いで、海浦、貞祥寺に継住す、
685
明正
寛永一三年九月五日
1636
真田信之、小山田之知の病気を問ひ、跡職をその子同采女に安堵せしむべきを約す、尋いで、之知、卒す、
686
明正
寛永一三年九月五日
1636
山村良豊、女一人を木曽福島より江戸在留の娘の許に遣はさんとし、上野横川関松下源左衛門等に、同所通過を依頼す、
687
明正
寛永一三年九月六日
1636
幕府代官岩波道能、佐久郡前山新田村の新田を検地す、 佐久郡諸村の検地帳
688
明正
寛永一三年九月七日
1636
諏訪頼水の家臣三輪知友、筑摩郡和泉村に前年分年貢の納払皆済目録を渡す、
692
明正
寛永一三年九月一三日
1636
小笠原長泰所領伊那郡かいさはの忠右衛門、同人所持分田畠の高・反別を注す、 伊那郡伊豆木村の又右衛門所持分の田畑の高・反別帳
693
明正
寛永一三年九月一五日
1636
真田信之、更級郡八幡宮の祠官に社領安堵のことを認む、
697
明正
寛永一三年
1636
信濃の人高付久利、卒す、
697
明正
寛永一三年一〇月三日
1636
仙石政俊、小県郡上室賀村等の本年年貢高を定む、尋いで、同郡諏訪部村等領内諸村の本年年貢高を定む、
698