長野県立歴史館 信濃史料
「信濃史料」 巻二十六 (300頁~)
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明正
寛永一一年九月二六日
1634
仙石政俊、小県郡小牧村の本年年貢高を定む、尋いで、同郡諏訪部村等領内諸村の本年年貢高を定む、
308
明正
寛永一一年九月二八日
1634
諏訪郡安国寺住持陽岩、寂す、
320
明正
寛永一一年
1634
松平忠憲、憲良、佐久郡梅渓院に、同院切起し分の田地を寄進す、
320
明正
寛永一一年
1634
佐久間安次、勝長、水内郡五荷村の青苧畑を検地す、
321
明正
寛永一一年一〇月五日
1634
松平直政、安曇郡代官河崎次右衛門等をして、同郡穂高神社造営材木伐出しの人足を出さしむ、
322
明正
寛永一一年一〇月六日
1634
佐久郡井出次久、同郡相木組寛永九年分蔵納残米並びに同郡海瀬組前年分蔵納残米の払方目録を指出す、
325
明正
寛永一一年一〇月八日
1634
下伊那郡大鹿村福徳寺の鰐口、成る、
328
明正
寛永一一年一〇月一七日
1634
伊那郡邑主小笠原長泰、その父同長巨の尽七日忌仏事をその私第に修し、同郡開善寺住持玄種蛮宿、をして陞座説法せしめ、同郡保寿寺住持組英をして拈香仏事を勤修せしむ、
328
明正
寛永一一年一〇月二〇日
1634
松平忠憲、憲良、佐久郡御馬寄村等領内諸村の本年免相を定む、
331
明正
寛永一一年一〇月二一日
1634
高井郡日滝村の彦助、堀直升の家臣海野仁兵衛より、前年の風損改奉行衆の賄扶持を請取る、
334
明正
寛永一一年一〇月二七日
1634
幕府代官近山安俊等、高井郡小田中村等に、本年分年貢を割付く、
335
明正
寛永一一年一一月一日
1634
松平忠利、忠節、小県郡金井村の本年免相を定む、
341
明正
寛永一一年一一月二日
1634
幕府代官天羽景慶等、高井郡犬飼村等に、本年年貢を割付く、
342
明正
寛永一一年一一月一一日
1634
諏訪湖上に、諏訪大明神御渡あり、尋いで、重ねての御渡あり、
349
明正
寛永一一年一一月一二日
1634
水内郡長沼城主佐久間勝之、駿府城に卒す、尋いで、幕府、長子勝年の曩に歿するに依り、その遺領一万三千石を勝年の出勝友に嗣がしめ、勝年の子勝盛に五千石の地を頒ち与へしむ、
350
明正
寛永一一年一一月二二日
1634
真田信之、矢野半左衛門等をして、年貢未進の奉公人の知行差押等のことを沙汰せしむ、
353
明正
寛永一一年一一月二六日
1634
是より先、佐久郡鎰懸衆、同郡八池衆と鎰懸山の用益等につき争論す、是日、同郡本間村長左衛門等の仲介により、和解す、
353
明正
寛永一一年一一月二八日
1634
上野沼田城主真田信吉、卒す、尋いで、子同熊之助、嗣ぐ、
354
明正
寛永一一年一一月二九日
1634
庄左衛門等、筑摩郡青柳問屋より、問屋役銀を請取る、
361
明正
寛永一一年
1634
伊那郡上飯田村の出来分年貢高帳、成る、
361
明正
寛永一一年
1634
筑摩郡碩水寺住持堂国等、同郡刈谷沢神明の御正体を再興す、
366
明正
寛永一一年一二月三日
1634
幕府代官岩波道能、佐久郡鎰懸村等に、本年年貢を割付く
368
明正
寛永一一年一二月三日
1634
幕府代官青木俊定の手代曽我佐五右衛門、高井郡虫生村に寛永九年分の年貢請取状を渡す、
373
明正
寛永一一年一二月一二日
1634
真田信之、菅沼二郎右衛門・岩本清左衛門より、前年の麻運上金を請取る、
374
明正
寛永一一年一二月一五日
1634
是より先、佐久郡下小田切村勘右衛門、同郡井出次久之証状を携へ、同人姪を上野より同村に同道せんとして、上野砥沢番所に同女を抑留せらる、是日、勘右衛門、次久に手形を進め、次久に迷惑なきやう処置すべきを約す、
374
明正
寛永一一年一二月一八日
1634
脇坂安元の家臣岩田与兵衛、伊那郡虎岩村平沢勘右衛門より、米を請取る、
375
明正
寛永一一年一二月二一日
1634
真田信之、上原権左衛門等に知行を給す、 信之、河野加兵衛に足軽を預く、
376
明正
寛永一一年一二月二二日
1634
佐久郡上村の蔵之助等、同郡井出次久等より、年貢米を預る、
377
明正
寛永一一年一二月二二日
1634
是より先、山村良豊、木曽楢川村の才十郎に篭舎を命ず、是日、木曽興禅寺住持桂岳等、良豊に才十郎の赦免を請ひて許され、同人を身請す、
378
明正
寛永一一年一二月二七日
1634
高井郡日滝村の彦助等、堀直升の家臣海野仁兵衛より、漆かき人足の扶持米を請取る、
379
明正
寛永一一年一二月二八日
1634
幕府代官近山安俊の手代会我佐五右衛門、高井郡小田中村に前年分の年貢請取状を渡す、
380
明正
寛永一一年一二月二九日
1634
仙石政俊、従五位下に叙せられ、越前守に任ぜらる、
381
明正
寛永一一年一二月三〇日
1634
真田信之、河浦三右衛門尉・同彦作をして、水内郡鬼無里村等の麻の売買を取締らしむ、 漆掻き扶持請取証文
381
明正
寛永一一年
1634
松平忠憲、憲良、従五位下に叙せられ、因幡守に任ぜらる、
382
明正
寛永一一年
1634
木曽奈良井宿、火く、
383
明正
寛永一二年正月一日
1635
林道春、羅山、脇坂安元の新年試筆の和歌の脚韻を和して、詩を製し、之を安元に贈る、
384
明正
寛永一二年正月一〇日
1635
真田信之、菅沼二郎右衛門より、水内郡岩草村等の前年分年貢金を請取る、
384
明正
寛永一二年正月一二日
1635
徳川家光、松平直政等諸大名を江戸城中に招き茶を饗す、
385
明正
寛永一二年正月一三日
1635
佐久郡井出次久、同郡相木組寛永十年分年貢勘目録を指出す、
386
明正
寛永一二年正月二三日
1635
脇坂安元の家臣脇坂内膳、伊那郡虎岩村平沢新十郎より、前年分の納年貢米を請取る、尋いで、また請取る、
388
明正
寛永一二年正月二八日
1635
是より先、高井郡夜交村の内横倉の百姓、同村篠川・あわかひの物成につき争ふ、是日、同村名主等、温泉寺住持等の仲介を以つて和解せしむ、
390
明正
寛永一二年二月一日
1635
水内郡戸隠山社僧某等、徳川家光に目見えす、尋いで、同郡善光寺僧某も目見えす、
391
明正
寛永一二年二月九日
1635
仙石政俊、家臣加藤主馬助に罪あるに依り、主馬助及びその三子に討手を差向け、之を誅せしむ、
392
明正
寛永一二年二月一八日
1635
千村重長の手代中山吉左衛門等、伊那郡冨田村等の前年仕出し榑の算用帳を記す、
392
明正
寛永一二年二月二七日
1635
松平直政、安曇郡田尻村を検地す、
396