【宗呑の弟】
今井兼隆は
平左衞門と稱し、宗薰の子宗呑の弟である。(今井家記、
今井氏七石碑銘幷系圖)(寬政重修諸家譜には、
平左衞門兼隆を以て宗呑とし、歿年を寬永十年三月八日に、法名を紹仙に作るも、
祥雲寺略記並びに舊
禪樂寺の遺物で、現に
德泉庵に保存せられてゐる位牌には、何れも彼の死を以て元和九年四月十三日とし、猶ほ右位牌には不盡宗呑居士の法名が記されてゐる。之によつて觀ると、兼隆は宗呑ではなく、隨つて前敍寬政重修諸家譜の記事は明らかに誤謬である。)【
茶湯の達人】【和泉河内の代官】將軍
德川秀忠及び家光に仕へ、
茶湯を善くし、父の勳功によつて同じく河、泉
兩國の代官を命ぜられ、
伊達政宗も亦父宗薰と同じく之を厚遇した。寬永十年三月八日享年三十二歳を以て歿した。(今井家記、今井家先祖書)【墓所】法號を見性院
桃源紹仙居士と云ひ、
向泉寺に葬つた。(桃青寺過去帳)
第四十二圖版 今井兼隆畫像