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(六三)天祐紹杲

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 紹杲字は天祐、自ら夢伴子實夢叟、又柔兆子と號した。(龍寶山大德禪寺世譜)近江の人、美濃部氏を稱した。【大德寺出世】法を萬江宗程に嗣ぎ、寬永二年六月大德寺の第百六十九世となつた。(紫巖譜略、寶山住持世記上、龍寶山大德禪寺世譜)本山に梅岩菴、大和の宇多に長泉山德源寺を創建した。(龍寶山大德禪寺世譜)澤庵同十五年九月原人論を仙洞に進講して、御物を賜はつた際、一絲等と共に、賀辭を呈して高德を頌へた。(原人論賀頌)【南宗寺住職】又南宗寺に入つて其住職となつたが、同寺歷年譜には之を逸して居る。入山の歳時は明かでないが、同寺の昭堂に安置せる、澤庵和尚木像の胎内書銘を作り、末文に正保第三歳舍丙辰孟秋月如意珠日住山比丘天祐叟紹杲盥手焚香拜書と署名して居るのを見ても明瞭である。(澤庵和尚木像胎内書銘)後更らに祥雲寺第二世の住職となつた。(祥雲寺略記)【禪師號勅賜】明曆二年四月後西天皇は特に佛海祖燈禪師の號を賜はつた。(寶山住持世記上、龍寶山大德禪寺世譜)寬文六年九月二十一日世壽八十一歳を以て示寂した。【辭偈】辭世の偈に曰ふ、「兩曜相積、八十一年、卽今底也、清風拂天、喝」と。黃梅院に葬つた。(龍寶山大德禪寺世譜)