ビューア該当ページ

(一三二)半井云也

290 ~ 291 / 897ページ
 【卜養軒慶友の男】半井云也は卜養軒慶友の嫡男、卜養軒奇雲と號し、又牧羊軒とも稱した。室は津田宗及の女、南窓榮薰禪尼(寬永十二年八月二十八日歿)である。【醫名あり】若年より、父慶友に就いて醫學を修め、後京都の江明寮に深く其術を硏いて名聲あり、將軍德川家光命じて法印を賜ふた。【禪要に觸る】【茶道に通ず】【古今傳授を受く】業餘大德寺春屋宗園に師事して禪に歸し、更らに澤庵宗彭、玉室宗珀、江月宗玩につき、岳父宗及小堀政一に就いて茶湯を究め、又肖柏所傳、堺流の古今傳を受け、自ら夢老と號した。後烏丸光廣に就き、更らに和歌の傳授を受けた。(半井家系圖)一日堺に於て和歌を詠じ、畫像の上に題し「我かけをのこす心はなけれとも世の人なみに寫しおくかな」と、書き了つて卒した。(云也畫像自贊)時に寬永十三年二月二十八日、享年六十九歳であつた。法號を牧羊軒奇雲云也居士といふ。(半井家系圖)【墓所】大通庵の墓地に其碑がある。

第五十六圖版 半井云也畫像