【卜養軒慶友の男】
半井云也は卜養軒慶友の嫡男、
卜養軒奇雲と號し、又牧羊軒とも稱した。室は
津田宗及の女、南窓榮薰禪尼(寬永十二年八月二十八日歿)である。【醫名あり】若年より、父慶友に就いて醫學を修め、後京都の江明寮に深く其術を硏いて名聲あり、將軍
德川家光命じて法印を賜ふた。【禪要に觸る】【茶道に通ず】【古今傳授を受く】業餘
大德寺の
春屋宗園に師事して禪に歸し、更らに
澤庵宗彭、玉室宗珀、
江月宗玩につき、岳父宗及小堀政一に就いて
茶湯を究め、又肖柏所傳、堺流の古今傳を受け、自ら
夢老と號した。後烏丸光廣に就き、更らに和歌の傳授を受けた。(
半井家系圖)一日堺に於て和歌を詠じ、畫像の上に題し「我かけをのこす心はなけれとも世の人なみに寫しおくかな」と、書き了つて卒した。(云也畫像自贊)時に寬永十三年二月二十八日、享年六十九歳であつた。法號を牧羊軒奇雲云也居士といふ。(
半井家系圖)【墓所】
大通庵の墓地に其碑がある。
第五十六圖版 半井云也畫像