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(一八八)武野安齋

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 【紹鷗の孫】武野安齋諱は知信、新五郞と稱した。紹鷗の嫡孫で、宗瓦の子である。慶長二年十月十二日堺に生れた。(武野家系圖)【澤庵に近侍す】幼にして出家し、朝藏主と稱して澤庵宗彭に近侍すること多年、法諱を宗朝と號した。【尾張侯に仕ふ】既にして中道還俗し、尾張侯德川義直に仕へて五百石を食んだ。(祥雲寺略記)【撰述の書】澤庵大和尚行狀を撰述し、東海和尚紀年錄泉州龍山二師遺藁を編み、慶安四年十二月私資を投じて、澤庵の爲に祥雲寺に寂然塔を建てた。(澤庵禪師寂然塔銘)【大林和尚塔牌の寄進】又承應三年祖父紹鷗の一百年遠忌に當り、南宗寺の寺僧と相謀り、其前年の承應二年十二月に、同寺の開山大林宗套の塔牌を寄進し、兼て紹鷗の追福を修した。(大林和尚塔銘幷序及び同裏面之記事)歿年世壽は明かでない。