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(二〇)櫛笥寺

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 櫛笥寺具足山と號し、一名本教寺、【位置】車之町東四丁字寺町にあり、日蓮宗立本寺末で、寺格平僧跡、【開基】明應元年櫛笥大納言隆朝の創建開基するところ、【開山】開山は本住院日深である。(略緣起、堺鑑中、社寺明細帳)【沿革】元和三年六月立本寺第十七世日泰導師となり、本堂落慶供養の式を擧げた。(櫛笥寺記錄)恐らくは兵燹後の再建であらう。次いで第八世靈鷲院日審之を中興した。(略緣起)是より先き、天正十四年七月豐臣秀吉築尾村に於て、【印寺領】寺領一石一斗の印を寄せ、德川幕府亦舊に據つたが、(印狀)明治四年正月上地した。【舊塔頭】寶永元年の記錄には延成院久祥院良圓坊扇翁坊の四塔頭を擧げてゐる。(堺南北寺院塔頭之諸出家印鑑帳)【立本寺との關係】古來本寺立本寺とは極めて密接なる關係あり、同寺第九世大僧正日俊の如きは當寺に隱栖して、永正十四年十月遷化してゐる。(櫛笥寺緣起)【本尊】本尊は題目寶塔、釋迦、多寶二佛、文殊、普賢兩菩薩、四天王諸尊、宗祖日蓮、日審、鬼子母善神で、【堂宇】本堂、庫裏、門及び門番所あり、境内七百六十三坪を有してゐる。(社寺明細帳)