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(二)大阿彌陀經寺

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 【所在】慧遠流淨土宗本山として我邦蓮社號の權輿となつた智恩院末大阿彌陀經寺は寺地町東三丁にあつて、一に旭蓮社ともいふ。境内三千百十七坪五合七勺を有し、【表門】寺地町南側に裏門を附し、其北側に表門を附してゐる。門内は境内南に開け、中央に石の鋪道を設け、東側には本堂、庫裏其他の諸堂西面し、西側には善光寺堂、骨堂、墓地、毘沙門堂、鐘樓等が並列してゐる。【善光寺堂善光寺堂は鋪道の西側北端にあつて東面し、桁行六間、梁行五間、骨堂は二間四方の建築で、【神南邊道心の墓】南隣の墓地には神南邊道心の墓がある。【毘沙門堂】毘沙門堂は墓地の南側にあつて桁行四間半梁行二間の重層樓の建築で、多聞天の扁額を揭げ、扉を觀音開とし、本尊毘沙門天王弘法大師一力三禮の座像と傳へてゐる。【鐘樓】毘沙門堂鐘樓は毘沙門堂の南にある。元祿十一年紺屋町深井宗及が建立したもので、上部には三尊來迎の圖を鏤めて下に銘文を刻してゐる。鐘樓の東南には瓦葺四足の裏門がある。【忠魂碑】門の北に當つて明治三十七、八年戰役戰歿將士の忠魂碑が建てられてゐる。【本堂】本堂は西面して方八間、内部は内外兩陣に分ち、内陣は更に南北三部に分れ、中央を須彌壇、南北兩側を脇壇にしつらへてゐる。須彌壇には阿彌陀如來の坐像を、南脇壇には開山澄圓菩薩以下の木像を、北脇壇には阿彌陀如來の立像其他の佛像を安置してゐる。須彌壇の後方には元鹽風呂鹽風呂址參照)にあつた藥師如來像が安置されてゐる。本堂背後の建物には裏堂があり、裏堂の北に茶室がある。又本堂正面には老松偃臥し、其北方、【舳松神社址】庫裏の北方なる民家は舳松神社の舊鎭座地であつた。

第百十二圖版 大阿彌陀經寺見取圖

 
 

第百十三圖版 旭蓮社全景(和泉名所圖會)