もみじ台付近が浅海域であったころ、その海はどんな広がりをもっていたのだろうか。
まず、石狩低地帯におけるもみじ台層と同時期の海成層を探ってみよう。南東部の早来―厚真周辺に分布する厚真層は、分布高度(二七メートル前後)やそれに含まれる化石(ヤマトシジミ・海生の珪藻)の特徴から、もみじ台層に対比される内湾の堆積層と考えられている。また、苫小牧市静川台地ボーリングの資料(第三章図6参照)によると、海水面下一六メートルの砂層(SZIV層)からシラトリガイやビノスガイなど海生貝化石が発見され、その上下層準の花粉化石は、周辺丘陵部の厚真層のものに類似する。いっぽう、石狩丘陵域や石狩海岸平野部の地下の堆積層には、現在のところ、もみじ台層に相当する地層は確認されていない。
このような事実から、もみじ台期(最終間氷期、一三万年前~七万年前)の海は、第三章で述べた音江別川期の海と同じように、太平洋側から北へむかって浸入した内海であったと推察される。しかし、石狩低地帯北部ではその時期の堆積物が残っていないだけで、海そのものは日本海までつながっていた可能性もある。いずれにせよ今後の検討が必要である。いっぽう、陸上部はどうかといえば、この海の背後に、現在の月寒台地や滝野丘陵が低い台地となって広がり、札幌扇状地もなく、そこは豊平川の沖積地となっていたのではないだろうか。実は陸上部を復元するための資料はほとんどないのである。
では、当時の気候や植生はどうだったであろう。静川台地のボーリング・コアの花粉分析によると、この時期は、全般に穏やかな気候であったらしく、コナラ属・ニレ属・クルミ属を主とする現在と同じような冷温帯性の落葉広葉樹林が発達していたと考えられる。
しかし、もみじ台期も終わりに近くなると、次第に寒冷化し、海水面も徐々に後退をはじめ、本格的な海退期に入る。そして、もみじ台層の堆積面は海面上に現れ、そこには低湿地の環境が展開されるようになる。それは最終氷期への幕開けであった。