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上原熊次郎の斡旋

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 さらに、第二回訴願より六年が経過した。文政二年(一八一九)、イシカリ詰幕吏として長川仲右衛門と上原熊次郎が赴任してきて、シレマウカらの長期にわたる紛争事件調査に乗り出した。同年、熊次郎らがシレマウカ方に立ち寄ったところ、シレマウカはすでに没して、その子シリコノエ惣乙名になっていた。シリコノエより話を聞くとともに、シリコノエ小使サエラフニを連れてユウフツ場所に行き、ムイザリのウライを引き渡すよう斡旋に出た。その斡旋案のなかには、「当場所(ムイザリ)領右ウラエニて荷物取高半分訳ニ差出旨被仰付」というごとく、ムイザリの漁獲高を等分にイシカリとユウフツとで分けることも含まれていた。しかし、この案も、上ツイシカリシリコノエが承諾しないまま、「其年も漁業等も不仕捨置候」といった状況で、ムイザリへの漁業へは加わらず、熊次郎の斡旋も成功していない。なおこの熊次郎の斡旋については、文政五年三月付のイシカリアイヌの三回目の訴願や、同年八月付のユウフツアイヌの訴願のなかに触れられている。