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松浦武四郎の批判

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 アイヌのおかれた悲惨な状況、支配人番人などによる圧迫と抑圧に胸をいため、アイヌの擁護に尽力したのが松浦武四郎であった。武四郎は多数の著書のなかで、アイヌの窮状と救済についてくりかえし述べ、種々の献言もおこなっている。その中でもとりわけ、これまで主に紹介してきた『丁巳日誌』は、人別帳の虚偽の問題、不当な強制労働、支配人番人によるアイヌ女性の妻妾化などを詳細に述べ、強い怒りと義憤のもとで糾弾している。

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写真-6 松浦武四郎(三重県 松浦清氏蔵)

 『丁巳日誌』のもとになった安政四年の調査では、箱館奉行堀利熙・村垣範正の両名もひろく廻浦をおこない、この年はアイヌの「撫育」の問題に関しても、ひときわ積極的な政策がとられた時期であった。それだけに武四郎は、『丁巳日誌』を現状改善の資料として、両奉行に提出する意図をもっていたと思われる。イシカリ場所は、支配人アイヌへの対応が、「以(もって)ノ外不宜場所第一」(入北記)とされ、また阿部屋に対して箱館奉行から「不行届」に対する厳重な申渡しをうけており、イシカリ改革の要因ともなった。すでにこのころより改革にむけて、さまざまな調査と準備がなされており、『丁巳日誌』自体もその調査の一端に位置付けられる。『丁巳日誌』がイシカリ場所のアイヌ問題に関し、ことさら詳密で余すことなく実態をついているのも、右記の事情によるものだろう。武四郎自身も以前から、アイヌを救済するには場所請負の廃止しかないと主張しており、イシカリ改革の積極的な支持者であった。