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写真-6 松浦武四郎(三重県 松浦清氏蔵) |
『丁巳日誌』のもとになった安政四年の調査では、箱館奉行堀利熙・村垣範正の両名もひろく廻浦をおこない、この年はアイヌの「撫育」の問題に関しても、ひときわ積極的な政策がとられた時期であった。それだけに武四郎は、『丁巳日誌』を現状改善の資料として、両奉行に提出する意図をもっていたと思われる。イシカリ場所は、支配人のアイヌへの対応が、「以(もって)ノ外不宜場所第一」(入北記)とされ、また阿部屋に対して箱館奉行から「不行届」に対する厳重な申渡しをうけており、イシカリ改革の要因ともなった。すでにこのころより改革にむけて、さまざまな調査と準備がなされており、『丁巳日誌』自体もその調査の一端に位置付けられる。『丁巳日誌』がイシカリ場所のアイヌ問題に関し、ことさら詳密で余すことなく実態をついているのも、右記の事情によるものだろう。武四郎自身も以前から、アイヌを救済するには場所請負の廃止しかないと主張しており、イシカリ改革の積極的な支持者であった。