イシカリ役所の引継完了後、八月十四日に箱館裁判所石狩詰の発令がなされている(箱館裁判所評決留)。それによると、イシカリ役所詰であった旧幕吏で、新たな石狩詰として再任されたのは、次の通りである。
給事席 元石狩在住定役代中村兼太郎、元石狩在住荒井好太郎(兼学校助教)
趨事席 元石狩詰同心山本晋之助、元石狩在住永嶋玄造、同井上斧太郎
属事席 元石狩詰足軽西村嘉右衛門、同山本政之助、同田中鋭次郎
右のほか新規に石狩詰として発令された三人もあげておくと、
給事席 元生産掛鈴木勘兵衛
趨事席 大内章三郎(ただし同年八月二十五日付で増毛在勤にかわった)
属事席 元雇医師佐藤玄悦(民政方病院石狩詰)
以上の属吏のほか、同時に新たに石狩在住に対する手当金の辞令も発令されている。
石狩在住一カ年御手当金一五両 渡辺鼎斉、畑山万吉
石狩在住一カ年御手当金一〇両 松井八右衛門、大友亀太郎
石狩在住一カ年御手当金七両二分 玄造悴永嶋芳之助
石狩在住一カ年御手当金五両 八右衛門悴松井小申吾
以上であった。旧イシカリ役所調役樋野恵助は、裁判所への引渡しを済ませた後に江戸へさったという。
なおちなみに箱館裁判所の官等は、総督、副総督、判事、権判事の下に属吏として、司事、参事、従事、給事、趨事、属事(のち行事)があった。また箱館裁判所は明治元年閏四月二十四日に箱館府と改称され、同時に総督も知事と改められたのであるが、しかし現実には裁判所ならびに総督の呼称はそのまま使用されている。そして同年七月十七日に箱館管内に、また八月十日に蝦夷地に、それぞれ裁判所から府への改称を布達するに至っている。