島判官は、銭函道と千歳道と大友堀の交差点を札幌開発の基点としたといわれている。大友堀の西側、銭函道を挟んで北側に、銭函の清水利左衛門(屋号は〓)、南側に同じく菅原治左衛門(秋田屋)が旅籠を開いた。清水の旅籠の北側に大友堀に面して本陣(官員の宿泊所)を設けた。本陣の御用達には高木長蔵が任命された。これは大友亀太郎(市史 第一巻九二二頁)の推挙であったという。さらに本陣の北方に集議局や官邸役宅などをもうけた。その後三年五月、函館の商人〓・新田貞治が札幌に来た。そして菅原治左衛門の秋田屋に宿泊して、移民相手に小間物雑貨の商いをはじめたという。かくてこの地域が市内における商業の発祥地となった。