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工事請負人と諸職人の募集

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 諸建築物の工事請負人で、この時期に登場するのは中川源左衛門である。この中川組は函館での開拓使の諸工事にもかかわっている。中川源左衛門は工事請負人として多くの大工などの職人を東京などで募集し、自分の配下である大岡助右衛門を中心に組織して札幌へ送り込んでいる。この他、札幌建築のための諸職人の募集は、余市古平・岩内や仙台・南部など、北海道の内外で行っている。
 なお、『札幌区史』には中川源左衛門の話をもとにして、西村権監事と共に函館から雪の中を旅して、途中野宿をして三年十二月末に札幌に到着したこと、また中川の家督相続について、三年十二月二十五日東久世長官や西村権監事、広川大主典などの列座中で相続を仰せつけられたことなどが記されている。しかしこれらの話は本人の記憶違いが多いようである。この二つの話自体に矛盾があるし、またこれらの話の時期には、前述のように西村権監事はすでに札幌におり、函館にはいない。さらに広川大主典は、十二月末頃に逆に札幌から函館への途上であり、一月五日に函館に到着している。したがって『札幌区史』の叙述は誤りである。そしてさらに同じ中川の話をもとにして、札幌本府建設開始を四年一月二日とする話は、まだ札幌に岩村判官もいない時であるし、信頼性に乏しい。しかし中川組が四年中から札幌の建設に関係していたことは、中川源左衛門が東京で大工職人等を募集している書類などが開拓使に残されているから事実である。
 工事の仕方は開拓使の書類から推測すると、中川が諸工事を請け負い、その見積などは中川で行い、その工事を諸職人たちに配分するというものであったと考えられる。中川が募集した職人人夫たちが続々と札幌に到着する春から札幌の街造りも開始される。