追々当処永住之者相増、夫々拝借被仰付候場処無之候ニ付、牢屋前より薄野ニ至り壱丁通、急速地割相成候様仕度、此段奉伺候也。 (評議留 道図) |
本町三丁目通ニて別紙朱書之如く、谷地在之難渋之趣、屢々申出尤ニも相聞候、殊ニまた通り筋ニて不体裁ニも相見候、何れにも往々御普請可有之ヶ所ニ御座候事、希ハ降雪之時節ニ不相成内、往来巾二間通、急速御普請相成候 (同前) |
この二つの伺は、四年前半の町区画の様子を窺い知るには好都合である。前者を『札幌区劃図』(写真7)と合わせみると、すでに現在の南大通から南四条までの西二丁目が一丁だけ区画されていたことがわかる。そこを移住者が拝借しやすいように地割をするという意味であろうか。
後者は写真6が添付されていて、大通から南に向かって一丁ずつ区画されていたことがわかる。また現在の南二条の東西にまたがって谷地があったことを示している。さらにその頃、そこを本町三丁目と呼んでいたことがわかる。この本町という呼び方は、島判官の『石狩国本府指図』にある。
写真-6 「本町三丁目」の谷地(評議留 道図)
これらの区画が『開拓使事業報告』土木の部にある、四年四月から着工した一〇四〇間、幅八間の「銭函本道並札幌市中往来」の工事でできたものであろうか。いつ区画されたかは現在のところ資史料はなく、確定できない。