アンチセルはワーフィールドより遅れて札幌入りをして調査に当たった。その札幌本府の是非を論じた報文の冒頭において、「夫レ札幌ヲ開キ開拓使ノ本庁ヲ建ルノ論ナランニハ、課多ノ費用ハ敢テ厭サル所ナレトモ」と、本府を建設するに際して当然かかるであろう相当の経費の問題はさて置いて、本府としての札幌を検証している。
最初に「其地ノ夏タル、暑気多カラス久シカラサ」る気象条件が第一に問題で、そのため食料生産に限界があり、冬初より五カ月間は南方より供給を受けざるを得ないことを指摘し、続いて、札幌近傍に一つとして良港がなく、その上冬季は氷海となって船舶の航行はできず、また馬車も積雪のため通行不可能となり、この寒冷酷寒と物質の供給不能との環境条件により、札幌は本府として不適と断じている。
さらに「抑モ首府ナル者ハ国ノ中心ニシテ、府ニ事アレハ一国忽チ之ニ感応ス」るものであるから、「首府ハ天造ト人工トヲ以テ之ヲ堅固ニ為シ、独リ蝦夷地方ノミナラス広ク内地ト往来自在ヲ得セシムヘシ」と、本府の本質ヲ提示し、しかしながら「札幌ノ地位タル、能ク此等ノ事ヲ為シ易シトセス」とする。その理由は、安全な良港も風波を避ける海岬もないため、兵艦を停泊させ砲台を構築することができず、またロシアは本道中央より近接の位置にあり、その船艦によって常に制圧される結果となる。このように「札幌ハ蝦夷全道及ヒ内地ト容易ニ往来スヘキ地ニ非」ざるゆえに、本府としてさらに不適とする。
そこで、本府として札幌に替わるべき地を求めるならば、それは室蘭と根室の間の地であるが、しかしこの地方にも良全の地はない。ここに再び、強いて本府を札幌とするならば、「室蘭港及ヒ太平洋ニ依リ百方以テ札幌ヲ内地ト連通セシムルヲ緊要トナス」として、第一に両地間に良全なる道路を築造し、次いで鉄道を敷設することが不可欠の条件であると主張するものであった(開拓使日誌)。