開拓使は幌内炭鉱開削開始による需要増に備えて十二年六月、味噌醤油製造場をさらに
東創成町(北五東一)に設けた。以前桶樽の材料は秋田地方の杉材を用いていたが、この製造所には本道産の椴材を用いて経費の節減を計った。十三年には杜氏居宅などを増築し、千葉県野田から醸造職人を招いて品質の改良につとめている。十二、三年の製造高並びに経費は表8のようである。
科 目 | 12年 | 13年 |
製造高 | 醤油 | 数量 | 348石000 | 462石000 |
金員 | 3828円000 | 5782円000 |
酢 | 数量 | 51石000 | 19石000 |
金員 | 510円000 | 190円000 |
味噌 | 数量 | 23470貫200 | 38621貫400 |
金員 | 4694円040 | 7724円280 |
合 計 | 金員 | 9032.040 | 13696.280 |
経 費 | 8298.668 | 11692.707 |
興業費 | 0. | 1293.950 |
営業費 | 1098.099 | 8198.011 |
収 入 | 1098.099 | 8198.011 |
この
味噌醤油製造所は十五年二月、
農商務省工務局の所管となり、営業資本を一万六五九六円として事業を継続する。十六年一月には
北海道事業管理局の所管となり、十七年五月払下げを決定した。
水原寅蔵、
後藤半七らの払下運動もあったが、十八年六月
対馬嘉三郎の保証で子息
森弥市に払い下げられた。土地、家屋、器械、雑具の代金一万五二九八円二四銭六厘のうち、現品代金一万九八三円五三銭一厘は即納、其余は五カ年賦であった。